KITANO Yoshitomo back home
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 「癒し系」いう言葉がある。

 癒される音楽のことをこう呼ぶらしい。多分坂本龍一さんの大ヒットシングルあたりが元になっていると思う。

 あまりこの言葉は好きではない。もっとも、私の音楽を聴いてくれて「癒されました」なぁんていうことを言う人がいたらとても嬉しい。別に「癒す」という言葉自体が嫌いなわけではないのだ。

 ただ、音楽のあり方として「癒し」とひとまとまりのジャンルとして括ってしまうのはどうにも納得がいかない。これではつまらない。「一体何でそんなに疲れているのか?」とも言いたくなる。癒すという「機能的」なものを音楽に求めるのもどうかと思う。そもそも、世の中にはヘヴィーメタルの音で癒されている人もいっぱいいるのである。

 今から10数年前、「ウィンダムヒル」というレーベル(レコード会社)が日本で大ヒットした。今で言う癒し系だ。私はこのレーベルが大好きで、ジョージウィンストンやウィリアムアッカーマンといったアーティストのCDをいっぱい買ったものだ。そして今でも好きだ。ニューエイジミュージックを作るときは、いつもこの人達の音楽が頭にある。

 しかし、ブームもつかの間で、あっと言う間に「ニューエイジミュージック」は顧みられなくなり、ウィンダムヒルもかつての勢いはない。流行っているか、流行りそうな音楽にラベルを貼り、ブームにしてしまうというのは昔も今も同じだ。そのうち「癒し系」というのも、「古い音楽」になってしまうのではないかと危惧する。

 坂本龍一さんの例の曲は、「癒そう」などという直接的なことは頭になかったはずだ。あの曲はコマーシャルの為に作られた曲だから、彼のもっと奥深い音楽からするとキャッチーで単純なモノかも知れない。だが、コード進行云々はここでは書かないが、内容は十分に充実している。

 それに引き替えブームに乗ってくる曲というのは表面的というか底が浅い。と思う。一言で言えば、シンセサイザーのストリングス(弦楽器)やパッド(説明が難しいが、簡単に言うと背景となる音)の「垂れ流し」なのだ。プロが作り出す音と、インターネットダウンロードサイトの音を比べてしまうのはフェアじゃないかも知れないが、私が音楽を発表しているダウンロードサイトの中にも、キツイ言い方だが、まさに垂れ流しのようなものが沢山ある。

 シンセサイザーで音楽を作ることは否定しない、どころかこれからもっと研究してみたいことなのだが、シンセサイザーでは簡単に音楽を作れてしまうため、なんとなく聴き心地が良いだけで、全然「音楽」になっていなかったりするのだ。