近況報告 2000.秋


 今年の三月、僕の先輩でもあり、日本音楽集団で琵琶を弾いている田原順子さんから電話がかかり、熊本の市民会館の館長が、あなたに会いたがってると言われました。なんでも、日本音楽集団が、熊本で公演した際、肥後琵琶を何とか再生したいとのことで田原さんに相談があったそうで、僕が山鹿師に習っていたことを伝えたそうです。

 そんなことで、4月の初め、第一回肥後琵琶再生検討委員会に出かけて行くことになりました。出席者は、田原順子氏、同じく日本音楽集団三味線奏者の蓑田司郎氏、熊本大学でそういった研究をしている安田宗生氏、僕が山鹿師宅へ通っていた時、何かとお世話になった山鹿市役所文化課の木村理郎氏他、熊本県文化課、西日本新聞社などから十数名が集まり、今後、どうしていくか話し合いました。

 その中で、みんなに知ってもらうためのコンサートを続けていくこと、現存するテープ、ビデオの整理、楽器の制作など話し合いました。

 今生きておられるのは、85歳になられた橋口桂介師だけという現状で、僕も曲目をたくさん習ったわけでもなく、どういう形で伝えていくことが出きるか、残していけるのか、まだ暗中模索の段階ですが、取りあえず2回のコンサートを通じて、琵琶を始めたいという人が数人出てきたことは嬉しいことで、その人たちのためにも、何とか考えていかなければ行けないと思っています。

 11月に予定される第三回目のコンサートでは、二十数年前にテレビで放映された、肥後琵琶特集の番組を見ていただき、それに解説、演奏をくわえる予定です。
今後、どう発展していくか、またご報告します。


CDを出すことになりました。友人のソプラノサックス奏者、山本公成氏と去年の暮れから今年の春にかけて月一くらいの割で、公成氏のスタジオで録音した中の4曲です。
 全曲即興演奏ですが、心地よい音楽に仕上がったと自負しております。

 タイトルを「Symbiosis」(シンビオシス)と付けました。英語の「共生」と言う意味です。
 巷では、「いやし」と言う言葉がはやっているみたいですが、僕たちは、人が救われるとしたら、それは人によってあるべきだと思っています。音楽で、人・自然が共生できる、その手助けが出来たらと幸せです。

「いきとし いけるもの ともにあれ それが共生 ぼくらのテーマ」です。


今年の夏、鎮魂というものを考えてみようと思い、吉田満「戦艦大和ノ最期」澤地久枝「滄海よ眠れ」森村誠一「ミッドウェー」大田昌秀「沖縄の挑戦」と読んで来ました。今、夏目漱石の「我輩は猫である」を読んでいます。

 それというのも、今年の6月、東京に行った時、お会いした人が、三島由紀夫の友達だったそうで、二人で酒を飲むと、いつも「ヤレヤレ」と、あることをねだったそうです。その、あることと言うのが、「草枕」の冒頭の部分「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹されば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住い。・・・・・・」を朗読することだったそうです。

 名調子を聞きながら、僕は考えました。そういえば、夏目漱石をきちんと読んでいないと。愛媛県で育っていると、「夏目漱石=坊ちゃん=坊ちゃん団子」と結びついてしまう。何となく情けない。夏目漱石を拒否して、森鴎外や阪口安吾を読んできました。ここらでひとつ、日本人の誰もが愛するという夏目漱石を読んでみようと思い立ちまして、取りあえず、作品順に読んでいくことにしました。
 漱石が終われば、鴎外をもう一度読み直してみようと思っています。当分は、読む本に困ることはなさそうです。


オリンピックのテレビを消すと、虫の声が心地よく聴こえる季節になっていました。 いよいよお酒の美味しい季節です。お酒の雑誌「たる」の10月号の特集「愛する本をウイスキーで割る」で、僕のインタビュー記事が載っています。お暇な方は読んでみて下さい。

 何回か前までは、オリンピックがあると、必ず記録映画「東京オリンピック」をテレビでやっていた気がするのですが、最近とんと見ることが無くなりました。あの頃のシンプルさが懐かしく感じられます。今一番みたい映画です。
 ここ数日で、キンモクセイの花が一斉に咲き始めました。
どうぞ秋の夜長をお楽しみ下さい。

2000年神無月 上弦の頃