近況報告 2001.1月


新世紀の幕開けといっても、僕のように、ダラダラと過ごしている人間にとっては、何も変わらない日々の暮らしです。ただ、今年からパソコンを使って、年賀状の宛名書きをするのと、筆ペンを使うのをやめたため、8日をすぎても、まだ年賀状を書いてました。部屋には墨の匂いと、乾くのを待つ年賀状がいつまでも居座っていました。

あちらこちらで、21世紀を迎えるイベントが行われました。僕が住む京都でも、お盆の行事である五山の送り火が、大晦日に行われました。なぜと考えるとややこしそうなので、僕は戦争の世紀といわれた20世紀の送り火と考えました。

人の行為には、なぜという疑問が多かれ少なかれついてきます。意見もいろいろあって当然です。人間はそれを繰り返してきました。

歴史は、進化と回帰の繰り返しです。文明が時代の先端を行く進化と考えると、文化は、時代の尻尾かもしれません。けれど、本質的に大事なのは、回帰である文化だと思います。時代の顔といえる文明は、文化を土台に創られるべきものであって、決して一人歩きするものではないはずです。
失われた10年という言葉を、年末によく聞きました。バブル期以降、経済は停滞してるようです。しかし、何を尺度に停滞と言うのか、発展というのかは疑問です。その間にも、時代は進化しているはずですし、文明は、文化を助長してくれているはずです。

僕は、昭和30年代、40年代の高度経済成長と言われた時代に少年期を過ごしてきました。今の若者は、大人が自信なく過ごしてきた時代を生きてきた人たちだと思うと、僕は、今の若者たちに同情します。
文明を追い続け、文化を置き去りにした時代を、今、私たちは生きているような気がします。

少年の犯罪が多いから、刑罰を重くする、そうなったのは教育のせいだから、教育基本法を改正する、ボランティアを強要するという表面的なことにとらわれたような考え方は、僕は嫌いです。もっと基本的なことから真剣に考えるべきだと思います。僕の子供は、彼らを社会の先輩として生きていくのですから。
この世紀が、私たちの先達が育んできた文化が、社会の基盤として存在する時代となることを願っています。

子供の頃、21世紀という言葉に憧れをもって、どんな時代なのか鉄腕アトムを思いながら考えてたことを思い出しました。それが現実となった今、気に留めることは、不幸な出来事の方が多いのが実状です。
音楽に携わるものとして、何が出来るのか考えたところで大それたことが出来るわけではありませんが、まずは自分がどんな演奏が出来るかということから考え始めたいと思います。そして、繰り返し繰り返し考え続けていきたいと思います。
少しだけ、楽しい思いをしてもらえること。楽しいと思える時間を過ごしてもらえること。今日の月を美しいと感じてもらえること。それくらいから、考えていきたいと思っています。


琵琶の材料となる桑の木が、三宅島で取られていることを昨年知りました。その島は、今、将来の予測が付かない状態です。島に住んでいた人たちの事をニュースで知る機会も少なくなってきました。
一日でも早く、島に帰れる日の来ることを祈るのみです。


肥後琵琶の師匠、山鹿良之が生まれてから、今年で100年です。そういうと大仰ですが、まだ、死後5年です。5月には、92年に制作された長編記録映画「琵琶法師 山鹿良之」の上映を、大阪、京都で企画してもらっています。近づいたらご案内します。


年末、行きつけの飲み屋で、真珠貝の刺身を。年始には友人の染め師の工房で、極上のからすみを。先日は、やはり友人の寺で僕の生まれ年である55年のスペインワインをいただきました。
ちょっと幸せです。
みなさま、どうぞよいお年をお過ごし下さい。

2001年睦月 満月の頃