近況報告 2001.12月


例年ですと、高野川の桜並木と下鴨神社参道の糺の森が、11月下旬から同時に紅葉を始めるのですが、今年は雨の少なかったせいか、高野川の桜並木は11月中には、葉を落としてしまい、一方、糺の森は、12月に入ってから紅葉が始まりました。
春に始まった新芽の輝きは、この時季、それぞれの葉が持っている一番美しい色で生涯を終えます。それはまるで、存在を証明する証のように思えます。その美しい姿を写真やスケッチで残そうとする人、心に収めようとする人たちが、今年もたくさん訪れました。

僕は自分のことを平凡な人間だと思っています。平凡な日常の日々を愛する人間です。
季節のうつろいを感じながら、何事もなく、平々凡々と過ごせたら、これに越したことはないと思っています。多少の諍いに腹を立て、うっとうしいと思いながら、お酒を飲んで、次の日を迎える。そんな日々を繰り返しながら、季節を一つずつ過ごせたら、何よりのことと思っています。
戦争は、そんな平凡な暮らしを奪い去る行為です。許されないことと思っています。

人類は、過去において、侵略、宗教、イデオロギー、経済等いろいろな形の戦争を経験してきました。
戦争を起こさないために、いろいろな機関が作られ、努力されてきました。
しかし、今年、新たな形の戦争という言葉を、聞かされました。
一人の男を捕らえるために、世界一の経済大国を自認しながら、一方で自国の経済発展の妨げになると言う理由で京都議定書に調印しない国が、世界の最貧国と言われる国を攻撃しました。
攻撃された方は、聖戦という名目で、本来自分たちが一番に守るべきであり、未来を託す子供たちにも武器を与えました。
ロケット弾が人を直撃するという悲惨な映像を、テレビでは珍しいフィルムが手に入ったと言って流されました。
外交の目的は、異なる民族が理解し合うことであり、戦争をなくすことではないのか。宗教というものの目的は、人が愛し合う道を説くことではないのか。
私達は、もっと理解し合い、助け合うという努力をしなければならないのではないか。そんなことを思います。

下記は、10月下旬に僕の所に届いたメールの転送です。


みなさんにいま購読している在アメリカのライターによるメルマガの一部を転送させてもらいます。
この数字をみると、自分がいかに自分の立場でしか世界を見ていないかを思い知らされました。
いろいろ考えさせられるところの多い数字です・・・。

もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。
その村には・・・

57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
8人のアフリカ人がいます

52人が女性です
48人が男性です

70人が有色人種で
30人が白人

70人がキリスト教以外の人で
30人がキリスト教

89人が異性愛者で
11人が同性愛者

6人が全世界の富の59%を所有し、
その6人ともがアメリカ国籍

80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調に苦しみ
1人が瀕死の状態にあり
1人はいま、生まれようとしています
1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け
そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています

もしこのように、縮小された全体図から私達の世界を見るなら、
相手をあるがままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、
そして、そういう事実を知るための教育がいかに必要かは
火をみるよりあきらかです。

また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。

もし、あなたが今朝、目が覚めた時、
病気でなく健康だなと感じることができたなら・・・
あなたは今生き残ることのできないであろう
100万人の人たちより恵まれています。

もしあなたが戦いの危険や、
投獄される孤独や苦悩、
あるいは飢えの悲痛を一度も体験したことがないのなら・・・
あなたは世界の5億人の人たちより恵まれています。

もしあなたがしつこく苦しめられることや、
逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに
教会のミサに行くことができるなら・・・
あなたは世界の30億人のひとたちより恵まれています。

もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、
頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら・・・
あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています。

もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、
家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら・・・
あなたはこの世界の中でもっとも裕福な上位8%のうちのひとりです。

もしあなたの両親がともに健在で、
そして二人がまだ一緒なら・・・
それはとても稀なことです。

もしこのメッセージを読むことができるなら、
あなたはこの瞬間2倍の祝福をうけるでしょう。
なぜならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて,
その上あなたはまったく文字の読めない
世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです。

昔の人がこう言いました。
  我が身から出るものはいずれ我が身に戻り来る、と。

お金に執着することなく喜んで働きましょう。
かつて一度も傷ついたことがないかのごとく
人を愛しましょう。
誰も見ていないかのごとく自由に踊りましょう。
誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょう。
あたかもここが地上の天国であるかのように
生きていきましょう。

作者より

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昨年の暮れ、ソプラノサックス奏者の山本公成氏と「Symbiosis」(シンビオシス)という即興演奏でのアルバムを作りました。
そして今年、「シンビオシス」をユニット名にして、演奏活動を続けてきました。
「Symbiosis」とは「共生」のことです。

私達は、思っています。楽器とは、異なる環境で育った、異なる言語と常識を持った人間と同じであり、それらが演奏を共にすることは、お互いの常識を理解し合い、理解し合える言葉を探し、理想を持ってコミュニケーションする事に他成らないことを。
そして、かつて空想であったことを実現するほどの道具を作り出したように、望み続けることで、私達の理想の社会を作り出せるのではないかということを。

私達は、Symbiosis・共生をテーマに演奏します。
それは、私達が、共通のテーマに従って即興演奏を行う組曲です。
私達は、演奏を続けることで、組曲を構成していきます。
私達が生きている、そして生かされている「今」という瞬時を感じて、演奏を続けていきたいと思っています。
「生きとし 生きるもの 共にあれ それが共生」 私達のテーマです。


牛という動物は、草を食べるものとばっかり思ってました。
そのために、胃が四つあると聞かされてました。
今回の狂牛病のことで、初めて肉骨粉を食べていると知りました。
誰がそんなものを食べさせ始めたのか、牛にとっては、迷惑な話です。
精肉業者も大変でしょうが、食べるものにとっても、迷惑な話です。
みんなが迷惑することが行われているというのは、変な話しです。


12月の初め、鱈の骨をのどに詰めてしまって、耳鼻科に行きました。
骨を詰めたら、「ご飯を丸飲みしろ」と言うのは、しては為らないことだそうです。
そういうときは、うがいをして、出なかったら耳鼻科に行く、ということだそうです。
骨をとっても、丸一日痛みが残っていました。
「のどのつかえが取れてすっきりした」とは、いきませんでした。
3センチほどの骨は、今、僕のカルテに張り付けられています。


9月11日のせいか、誰もが大変な年だったという今年も、もうすぐ終わります。
ミレニアムの一昨年とか、新世紀の昨年に比べると、静かな年の暮れです。
願わくば、来年が、平和の礎になる静かな年であることを願っています。
どうぞ、良いお年を。

2001年 師走 聖夜の頃