近況報告 2001.5月


昨年度から、熊本市民会館が「熊本21世紀和のスクール」ということで、三味線(長唄)・津軽三味線・尺八・横笛・箏・民謡の講座を後援しています。
今年から、肥後琵琶も加わりました。恥ずかしながら、僕が講師です。4月8日の開校式の後、5名の受講者からスタートです。20歳代から60歳代、職業も、ご隠居・僧侶・会社員とまちまちな人たちです。 肥後琵琶というものが、手に入りにくいので、筑前琵琶の4絃琵琶を使います。
これから毎月、熊本に通って行くことになりますが、1年間で、どこまで出来るか分かりませんが、たいていのことは出来るような気がしています。
とりあえず、2月24日の発表会に向けてスタートしました。


山鹿良之師の記録映画を、大阪、京都で上映することになり、その宣伝のため、いくつか新聞社を回りました。記者の人と話している内に、忘れかけていた山鹿師との生活を思い出すことが出来ました。
とは言っても、一日の内で琵琶を持つのは1時間か2時間ぐらいで、後は、座敷か掘り炬燵の中で、二人でゴロゴロと過ごしていたわけですから、苦労して思い出すほどのことはないのですが、今から考えると、そんなんで1週間前後、それを年に何回か通ったわけですから、よくのんびりと山の中で過ごしていたよなあと思う次第です。

以下、この映画を監督した青池憲司氏が1992年完成時に書いた解説です。


琵琶1本かき鳴らし語り一筋で、大正・昭和・平成を生きてきた人がいます。山鹿良之さん、説教節語りの琵琶法師です。1901(明34)生まれですから、とって91歳。左眼を4歳で失明し、右眼も光を失いつつあり、聴力もおぼつかないのが、今の状態です。毎日飯一合五勺と酒三合を摂り、好物の菜は白身魚と明太子とかしわ汁。
口跡もとより鮮やか、琵琶を抱けば背筋もキリリと伸び、東にかまど祓いがあれば行って「般若心経」を唱え、西に演唱会があれば出かけて「小野小町」の一節を語ります。住まいする所は熊本県玉名郡南関町小原。22歳で肥後琵琶の師に就き、以来70年の琵琶弾きさん(土地の人は親しみを込めてこう呼ぶ)でめしを食い続けています。
山鹿さんの語り物の持ち外題はおよそ40、「小栗判官」や「俊徳丸」のような説教節から「大久保政談・一心太助」のような講談ネタまでまさに混肴、「芸人に上手も下手もなかりけり、行く先々の水に合わねば」といった趣です。
それにしても外題40種余りというのは、語り物のインフォーマントとして圧倒的な伝承量で、仮にその全部を語ったらいったい何百時間になるかという膨大なものです。中でも、「小栗判官」全7段・約6時間を通し語り出来るのは、現在山鹿さんただ一人といわれています。

この映画は、町の由緒ある芝居小屋、村の古びたお宮さま、旧家の座敷、そして東京浅草でと語りつがれた「小栗」の物語を縦糸に、横糸には、それを語る山鹿さんの日常の生活ぶりを織りなして構成されています。
山鹿さんはもとより無名の人です。しかも自分の規矩をもって生きる一流の庶民の一人です。芸の力と日々の過ごし方が渾然一体となって醸し出されている山鹿さんの魅力、それは、わが隣人、と呼びかけえたくなるたぐいのものです。この映画は、そんなすばらしい同時代人を記録したものです。


さすがに、映画監督は自分の作品を魅力的に語ります。
付け足すことがあるとすれば、この人の聞き手を意識したソウルフルな語り口は、まさに一流のストーリーテラーです。山鹿師の芸を習うのに一番苦労したのは、演奏するごとに違うと言うことです。僕のような目で追うことのできるテキストになれた人間には、どうすることも出来ません。
山鹿師のような人が、5年前まで生きていたということ、そして、それをとりまく社会が存在していたということを、是非知っていただきたいと思います。
お暇がありましたら、是非、映画鑑賞して下さい。


子供の頃、普段は全く見ることのない人が、なぜ、紅白歌合戦の最後に歌っているのが理解できず、つまらないと思う時間を過ごしたものなのですが、いつの頃からか、熱烈なファンになっていました。
友人が、ラジオの番組で一緒になったとき、自己紹介の直後から、さん付けで親しげに話してこられて、恐縮してしまったということを、聞いたことがあります。その話を聞いて、僕は、すごく羨ましかったです。
「大利根無情」や「俵星玄蕃」などの語り口と、満面の笑みが心に残ります。
2年ほど前、大阪、帝人ホールのコンサートに出かけたのですが、その頃はもう闘病生活だったのを知りました。
是非、三波春夫先生と、大リーグをこんなに身近にしてくれる先駆者となった野茂英男投手に、国民栄誉賞というものをあげていただきたいと思っています。


6月27日、毎年、沙羅の花が満開になる頃、京都、北山にある「あぜくら」での「沙羅の宴」。
7月21日、京都、三条「カフェ・デイビット」でのライブ。
7月28日、和歌山市、和歌浦「バグース」での、ソプラノサックス奏者山本公成氏達とのイベント。
8月18・19日、大合奏の講習曲「ヘイ・ジュード」「ビギン・ザ・ビギン」「上を向いて歩こう」をアレンジした学生邦楽フェスティバル。
9月9日、京都、アルティホールでの金剛流能楽師、廣田幸稔師の舞台。
9月30日、宝塚市、ピピア売布での公演。
10月、カナダに行く予定ですが、なかなか具体的なスケジュールが決まりません。いつものことですが、海外公演というのは難儀なものです。

賀茂の祭りも終わって、ここ数日、京都は初夏の陽気です。
どうぞお身体ご自愛下さい。

2001年五月 下弦の頃