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例年ですと、12月31日は「紅白歌合戦」を見ながらダラダラとお酒を飲み続け、「ゆく年くる年」に変わった瞬間の静寂を楽しみ、年が改まる頃には、結構飲み疲れていて、そのうちに寝てしまうと言うようなことを続けていたのです。カウントダウンとかオールナイトコンサートとか、わざわざ除夜の鐘を突きに行くというようなことは、絶対にしないと思っていました。 今年はちょっと状況が違いました。 昨年暮れに、兵庫県篠山市の法伝寺というお寺から、大晦日の除夜の鐘をつき終わった後、丹波篠山のしんしんと冷え込んだ本堂で、平家物語の弾き語りをお頼みできないかとの連絡を頂きまして、初めはゾッとしたのですが、芸人の義務感というのではなく、そういう年の明け方も良いかと思い引き受けてしまいました。 12月31日の午後になって、篠山に出かける準備をしていても「本当にこれから仕事にいくのかよ」と思っておりましたが、いつの間にか、今日が大晦日だという感覚も薄らいでゆき、ごく当たり前のように、本番の始まる時間を待っていました。おかげさまで、曙とボブ・サップの試合も見せていただき、スティービー・ワンダーのハーモニカ演奏も聴けました。 およそ30年ぶりというか、お酒を飲み始めて以来、初めてシラフで新年を迎えることができました。 40数世帯の檀家さんに混じり、除夜の鐘を突かせてもらい、80名ほどの参拝者の方に「那須与一」の一節を聞いていただいた後、新年の法要に参加させていただきました。なかなか気持ちの良いものではあるのですが、でも癖にはしたくないと思うのであります。 住職の長田さんは、能登半島の能都町出身の方だそうで、11月に私が能都町に行った際、鯨三昧をさせていただいた民宿「かね八」の近くのお寺で育ったそうです。と言うことで、能都町の清酒「竹葉」を用意していただいて、もちろんの如く法要の後に、結局例年と同じくらいの量のお酒を明け方近くまで飲ませていただきました。 法要の後に長田さんが参拝の方たちに話していたことですが、長田さんには昨年女の子が産まれました。その子が大きくなったとき、あなたが生まれた年はこんな年だったと正直に伝えなければいけない。たとえ不幸な出来事が起こった年であっても、それは仕方のないことだ。今年は平和が訪れる年であるようにと。 できうれば、大人たちの責任として、子供たちには夢を語りたいし、また、その暖かさの中で育ってほしいと思っています。
12月の「阿国・わらう」の公演には、多数お越し下さいましてありがとうございました。おかげさまで長い期間でしたが無事に終えることができました。私自身、こんなに長い間、同じ公演を続けたのは、10数年前、舞踏家の藤條虫丸氏のツアーに付き合って以来でした。
とんでもない仕事を頼まれることがあるもので、大阪府枚方市から「生きること」についての講演の依頼を受けました。冊子にもなることは、後で知りました。こういうことは、司馬遼太郎のような人達がするものと思っていたのですが、おもしろいかもと思い、勢いで引き受けてしまいました。何を話そうか考えなくてはいけないと考えただけで、頭の回路が停止してしまう今となって、ちょっと後悔しています。
2月18日で49歳になります。昭和51年に49歳で死んだ親父と同じ歳になってしまいました。まだこの世に未練がありますので、もう少し生きていたいと思ってはいるのですが、こればっかりは神のみぞ知るか仏のみぞ知るか。 2004年 睦月 下弦の頃 |