近況報告 2004.1月


例年ですと、12月31日は「紅白歌合戦」を見ながらダラダラとお酒を飲み続け、「ゆく年くる年」に変わった瞬間の静寂を楽しみ、年が改まる頃には、結構飲み疲れていて、そのうちに寝てしまうと言うようなことを続けていたのです。カウントダウンとかオールナイトコンサートとか、わざわざ除夜の鐘を突きに行くというようなことは、絶対にしないと思っていました。
今年はちょっと状況が違いました。
昨年暮れに、兵庫県篠山市の法伝寺というお寺から、大晦日の除夜の鐘をつき終わった後、丹波篠山のしんしんと冷え込んだ本堂で、平家物語の弾き語りをお頼みできないかとの連絡を頂きまして、初めはゾッとしたのですが、芸人の義務感というのではなく、そういう年の明け方も良いかと思い引き受けてしまいました。
12月31日の午後になって、篠山に出かける準備をしていても「本当にこれから仕事にいくのかよ」と思っておりましたが、いつの間にか、今日が大晦日だという感覚も薄らいでゆき、ごく当たり前のように、本番の始まる時間を待っていました。おかげさまで、曙とボブ・サップの試合も見せていただき、スティービー・ワンダーのハーモニカ演奏も聴けました。
およそ30年ぶりというか、お酒を飲み始めて以来、初めてシラフで新年を迎えることができました。
40数世帯の檀家さんに混じり、除夜の鐘を突かせてもらい、80名ほどの参拝者の方に「那須与一」の一節を聞いていただいた後、新年の法要に参加させていただきました。なかなか気持ちの良いものではあるのですが、でも癖にはしたくないと思うのであります。
住職の長田さんは、能登半島の能都町出身の方だそうで、11月に私が能都町に行った際、鯨三昧をさせていただいた民宿「かね八」の近くのお寺で育ったそうです。と言うことで、能都町の清酒「竹葉」を用意していただいて、もちろんの如く法要の後に、結局例年と同じくらいの量のお酒を明け方近くまで飲ませていただきました。
法要の後に長田さんが参拝の方たちに話していたことですが、長田さんには昨年女の子が産まれました。その子が大きくなったとき、あなたが生まれた年はこんな年だったと正直に伝えなければいけない。たとえ不幸な出来事が起こった年であっても、それは仕方のないことだ。今年は平和が訪れる年であるようにと。
できうれば、大人たちの責任として、子供たちには夢を語りたいし、また、その暖かさの中で育ってほしいと思っています。


12月の「阿国・わらう」の公演には、多数お越し下さいましてありがとうございました。おかげさまで長い期間でしたが無事に終えることができました。私自身、こんなに長い間、同じ公演を続けたのは、10数年前、舞踏家の藤條虫丸氏のツアーに付き合って以来でした。
好い仲間といえる共演者、乗りの良いスタッフの方たちと一緒に仕事ができたことは嬉しい限りです。
ただ、終わった後で言っても仕方のないことですが、長期間同じ曲ばかりを演奏し続けると、考え方が硬直したみたいな所もあって、良い演奏者が集まっていただけに、私自身の演奏も含めて、もう少し良い音楽ができたのではないか、もう少し良い音楽でダンサーの方たちに踊ってもらえたのではないか、そんな気がしています。後悔ではなくちょっと心残りような気持ちです。
それはさておいて、私が演奏する10曲ほどの中で3曲だけ歌う曲があったのですが、もう「おくに〜・おくに〜」と女の名前を歌い続けることもなく、かみさんにもこんなに言ってないぞと思うほど、毎日毎日「あいした・こいした」と唄わなくていいことにホッとしています。
舞台稽古のために祇園甲部歌舞練場に入ったのが12月1日でした。その時は控室に当てられた部屋から見る中庭のもみじには、まだ紅葉していない葉もありました。それから12月には珍しい2回の積雪と寒暖を経て、最終日の28日には、すっかり葉を落としていました。これだけ長い間、風邪も引かず事故もなく過ごせたこと、30名を越える出演者、および同じ数ほどの今まで付き合った中で最高と思えるスタッフの方たちと、気持ちよく一緒に仕事ができたことに、ただただ感謝です。


とんでもない仕事を頼まれることがあるもので、大阪府枚方市から「生きること」についての講演の依頼を受けました。冊子にもなることは、後で知りました。こういうことは、司馬遼太郎のような人達がするものと思っていたのですが、おもしろいかもと思い、勢いで引き受けてしまいました。何を話そうか考えなくてはいけないと考えただけで、頭の回路が停止してしまう今となって、ちょっと後悔しています。
時は2月25日午後2時、所は京阪枚方市駅東口サンプラザ3号館5階。興味のある方は、枚方市教育委員会社会教育課(Tel.072-841-1221代 内線563)にご連絡下さい。


2月18日で49歳になります。昭和51年に49歳で死んだ親父と同じ歳になってしまいました。まだこの世に未練がありますので、もう少し生きていたいと思ってはいるのですが、こればっかりは神のみぞ知るか仏のみぞ知るか。
私は平凡な小市民だと自認しています。波風が立つこともなくただ毎日を平凡に暮らせたら、こんな幸せなことはないと思っています。
願わくば、それぞれの立場の人が、等しく平凡に暮らせる社会であることを願ってます。
人の命が社会の暴力や人の暴力、テロ、紛争、戦争等、むりやり絶たれる事のない社会であることを願ってます。
未来を想う人、明日を生きる人達に、希望のある社会であることを願ってます。
年の初めに最近いつも想うことですが、平和であることが当たり前と感じることができる社会の来ることを、そんな展望の開ける年であることを願っています。
どうぞ今年が、良い年であったと言えるような一年でありますように。
寒暖の差の大きい冬です。どうぞお体ご自愛下さい。

2004年 睦月  下弦の頃