近況報告 2004.3月


2月の末、大阪府枚方市教育委員会の主催で、1時間ほど講演する機会がありました。50年に満たない人生の経験で、大した芸とか知識があるわけでもなく、人に聞いてもらえるほどドラマチックな生き方をしたわけではないので、聞いてもらえるとしたら、自分の経験したこと、関わってくれた人の思い出話ぐらいで、特に、すでに亡くなられた師匠、新内の岡本文弥師と肥後琵琶の山鹿良之師のことなどを聞いてもらったのですが、思い付きで話していくうちに、忘れかけていたことをたくさん思い出させてもらいました。

熊本市民会館で3年間続けられた肥後琵琶再生事業も3月12日の「肥後琵琶演奏会」で一応の終止符を打ちました。この間8名の方が受講に来ましたが、そのうち4名の方が最後まで練習を続けてくれました。今回は、その発表会を兼ねた演奏会でした。

山鹿良之が亡くなってから、もう8年になろうとしています。今回の事業が始まるまで、私は師匠との思い出を懐かしみながら、自分なりの楽しみ方で練習をし、それを聞いてもらっていました。自分なりの歌詞で、適当に琵琶の奏法を加えて演奏していたのですが、今回不特定多数の方に練習してもらうということで、テキストと言えるようなものを作りました。練習を進めやすくするために、歌詞を手直しして文章の形を整えてもらい、琵琶の奏法を整理し、いくつかの型を作りました。僕が普段学んでいる筑前琵琶の譜を参考に、弾法譜を作りました。元々盲人の即興芸のようなものであったのを、そのようにすることは、本来のこの地方に伝わった琵琶の芸を伝承する意味では不都合なことは解っていましたが、そのようにしないと短い時間では、とても無理だと思ったからです。それを補うために、併せて山鹿良之の演奏を聴いてもらうようにしました。
山鹿良之に習った端唄といわれる5〜7分くらいの短い曲の「一花ひらいて」「梅は匂いで」「ぎにあらたま」と、30分ほどの「小野小町」「道成寺」「石童丸」をそれぞれ練習してもらいました。
現在残っている資料やいろいろな人の演奏などを参考に、僕が習った以外の曲を受講生の人達と一緒に歌の節をつけ、琵琶の奏法を考えたいと思ったのですが、時間が足りませんでした。 その代わり、練習の最後の方は、決まった節ではなくいろいろなパターンの節を考えながら練習を進めたつもりです。便宜的に形を作って練習してもらったけど、肥後の琵琶は、本来自由さをもって伝えられてきたことを体得してもらうためです。
練習に使った楽譜などはすべて、熊本市民会館に預けました。琵琶の弾き方の解説ビデオを作りました。熊本大学の安田教授たちが進めてくれている肥後琵琶に関する資料をまとめたものもまもなく完成すると思います。現存する演奏テープの音源の整理、デジタル化も進んでいます。あとは、これらを参考に練習を続けていってほしいと思っています。

3〜40年ほど前には、この地方に琵琶弾きさんといわれる方がたくさんいて、その演奏を聴く機会、また聴くための小さな集まりも多数有ったようです。しかし、いつの間にか小さな集まりは無くなってしまい、聴く機会も途絶え、この地方の琵琶の文化は、社会から隔離されてしまいました。96年に山鹿良之が亡くなって、今生きておられるのは橋口桂介氏一人になってしまいました。
肥後の琵琶に限らず、社会から取り残され、生活の中から消えていった文化はいくつもあります。私は、文明は文化をもとにして創られるべきものだと思っています。文明は文化を置き去りにして一人歩きを始めてしまいました。モラルのない不祥事や人間性のない犯罪は、そのせいではないかとも思っています。
文化は伝えられるべきものです。それぞれの時代で形を変え、人々の生活の中で生きていくべきものです。社会の支えが無くなったとき、それを取り巻く環境も途絶えてしまいます。
変わってはならないもの。変わらなければならないもの。変わりたくても変われないもの。変わりたくなくても変わってしまうもの。一つのことを伝え続けることは大変なことだとは解っているつもりです。
文化は支えられなければならないものです。人々に支持され支えられて生活の中で生きていくものだと思います。
演奏会前の最後の練習の後、私は彼らに、努力し続けろといいました。自分のことを棚に上げて彼らの迷惑を顧みず、そう言いました。
今回、熊本市民会館が企画してくれたこの事業のおかげで、私が山鹿良之から習った曲は、4名の方に伝えることが出来ました。その意味では感謝しています。後は、彼らをいろいろな方面から支え続けてくれることを、心から願っています。

3年間毎月一回熊本に通ったのですが、とうとう熊本城には行きませんでした。加藤清正公の菩提寺本妙寺には行きました。一昨年の秋から行きつけになった和食処「田園」で、美味しいものは食べさせてもらいました。球磨焼酎「武者振り」は美味しゅうございました。桂花ラーメン、長崎チャンポンは何度も食べました。博多駅売店で売っているかじめ入りみそ汁を買って帰れなくなるのは残念です。


私の母校「愛媛県立八幡浜高等学校」が、第76回選抜高校野球大会に過疎地の困難を克服という理由で21世紀枠で出場することになりました。初めてのことなので、どう喜んで良いのか解らなくて困っています。新聞によると、昭和32年の夏の大会に一度出場したことがあるのですが、その時は記念大会で出場校が多く2会場で開催ということで、西宮球場で試合をし、一回戦で敗れたそうです。
久しぶりに甲子園球場に行ってみようとは思っていますが、強い学校と当たってぼろ負けしないで欲しいというのが正直な気持ちです。
どうぞ応援してやってください。


以前ご紹介したことのある友人の染め師、奥田祐斎が工房を京都の観光名所の嵐山に移しました。以前、千鳥という旅館だったところだそうで、川端康成が「山の音」を書いた部屋があるところです。
染め、着物に興味のある方はどうぞお訪ね下さい。ただし、京都らしいのかどうなのか一見さんはお断りといっていますので、私の名前をお使い下さい。光の具合で色が変わる「高櫨染(こうろぜん)」の再現に成功した人で、染工房の見学もできるそうです。連絡先は(株)夢祐斎Tel,075-881-2331です。


桜の花芽がふくらんできました。
春です。どうぞお楽しみ下さい。

2004年 弥生 下弦の頃