近況報告 2005.1月


今までの暖冬は間違いだったとでもいうように降り始めた大晦日の雪に、ちょっとワクワクしながら、慌ただしく年越しの準備をという程では無いにしろ、した方が良いことと出来ないことのギャップに、まあこんなものだと自分で納得し、迎えた正月の空は、見愡れる程の輝く青空でした。
朝からゆっくりお酒が飲めるのは正月くらいだと思い極めていて、例年のごとくダラダラと過ごした後、日が暮れるまでに行かなければと重い腰を上げ、義務のように家族で向かった下鴨神社への初詣で願うのは、小銭で世界の平和を祈るのは厚かましく思え、ただただ、今年も家族一同健康で平凡な生活が送れたら、これに勝ることは無いというくらいです。
例年、大雨、大雪、干ばつ、台風、地震等自然が巻き起こす災害は、ニュース新聞で見るにつけ、一時心を痛めることはあるにせよ、昨年のようにまたかと思う程続けて起こると、自分が被災する立場にならない事が幸運な人生のように思えてきて、異常気象という言葉も、何度となく聞いていると慣れてしまい、言葉の定義を確かめたくなってきます。

自然災害に対して、被害を最少に抑えるための環境作り、社会整備は、もちろん大切な事でしょうが、異常気象の要因の一つといわれる地球の温暖化防止のために、京都議定書が作られたはずなのに、それを実行するための具体的な方策を示せないで手をこまねいているように見える社会も、情けなく思えてきます。
家の近くの五差路の交差点が、中途半端な車優先に改良されたのを見ると、車の量を減らそうというより、まだ便利さというものを追い求めているように見えてきて、企業独自でCO2削減に努力している事を聞くと、嬉しくなってきます。
まだ、経済の発展を妨げるという理由で、それを批准する事も無く、自画自賛の民主主義と軍隊を輸出し続けようとしている国よりは、ましなんでしょうけど。
目的を達成するために、何かをするというより、何かを止める、我慢するというのは難しい事なんでしょう。風邪を引いたら薬を飲みながら仕事をするより、治るまで静かに寝ておけとは、なかなかいかないものです。

今年10回目を迎える1月17日は、もう10年経ったのかとまだ10年しか経っていないのかという不思議な気持ちでした。地球のくしゃみに壊された街の中で、水が蛇口から出ることや、スイッチをひねれば明かりが灯ることに喜んでいるまに、鉄道、道路はどんどん復元されていきました。町並みも次々と整理されていきました。
街が、人々が共同で作り上げる日々の営みの空間ではなく、箱のようなものを作って、そこに人を入れていったようにも思えます。個人補償の難しさも見え隠れします。国が守るべきものは国民だよなあと思うと、もっと期待していいのでしょうか。それとも無理な注文なのでしょうか。
阪神 ・淡路に比べて、中越地震の話題の頻度の少なさ、復旧の遅さが気になっています。

法然院の梶田貫首に教えてもらった言葉に、京都大学大学院理学研究科の山極寿一教授の語った「30〜40年前までの日本は仲間とともに生きる社会だったのに、現在は、他人とともに生きる社会になってしまった。」という言葉があります。
阪神・淡路の地震の際、少しの差し入れを持っていくと、集まった人たちがそれ以上の料理とお酒で歓待してくれた、そんな人の輪の風景を、今でもよく覚えています。
昨年の数々の災害に遭われた方に、悲しみを癒してくれるのは、時間の流れと人の善意というにはあまりに無責任のように思えて、結局なにも出来ないでいます。
人の和の力に期待しています。

私は取りあえず、生きていることの奇跡を喜んで、生かされていることに感謝し、満喫したいと思っています。
本年もどうぞよろしくお願いします。

2005年 睦月 満月の頃