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天下無敵の夏空が広がっています。 ギンギンに冷やした赤出汁に、茗荷を浮かべてがぶ飲みしたくなります。 暑中お見舞い申し上げます。 この度、7年ぶりに演奏会を企画してみました。 ライトアップばやりの昨今ですが、「闇のさやぎ〜ゆるやかな時の流れとうつくしい闇のために」と題して、会場を暗くしてみようと思っています。(チラシはこちらへ。) 私達は、闇の恐怖に打ち勝つために、火を用い、明かりを使用してきました。しかしそれが過剰になると、暗がりを否定し、闇を排除し、均一な明かりに照らされた清潔で単純な世界を作り上げました。 明るくなければならないという不安は、闇の世界の持つ想像力や安心感といったものさえ拒否しているかのように思えます。 文字学の白川静教授の本によると、「闇」とは、夜中に神の声、神の訪れの音がする事を表現したのが闇の字であり、また、神の訪れは、夜更けた暗黒の時にひそかな「音づれ」として示される。音はそのようにひそかに暗示されるものであり、闇は、ただ光のない世界ではなく、「神の音なふ」世界である、と書かれています。 東山のふもとにたたずみ、自然豊かな森に囲まれた法然院の一番奥まったところにあって、1687年にもと伏見にあった後西天皇の皇女の御殿(1595年建築)を移建した方丈の座敷に、特別に照明を入れない状態の舞台と客席を用意します。 中央に阿弥陀三尊を象徴する三尊石が配置された浄土庭園である方丈庭園を、少しだけ灯りで照らします。 こういうシチュエーションで演奏会を行うのは初めてですので、どうなるか分からないところもあるのですが、夏の終わりに、庭園の後ろに広がる夜の森の気配と、豊潤な闇のたたずまいを楽しんでいただけたらと思っています。 昨年の秋、地唄舞の古沢侑峯氏とフランスへ出かけました。8年ぶりの海外公演でした。今年は10月後半、箏・尺八他の方々とトルコ、ポーランドに向かいます。 こういう事も続くものなのでしょうか。 どうぞお体ご自愛ください。 それではまたです。 2005年 葉月 上弦の頃 |