近況報告 2007.3月


梅が咲いて彼岸桜が咲きました。柳が芽吹きユリカモメが北へ帰って行きました。沈丁花が咲いてユキヤナギ、コブシが咲いて雪が降りました。タンポポが咲いてやっと桜が咲き始めました。
桜の開花予報に方程式があることも、冬眠打破という言葉も初めて知りました。暖冬という言葉をほとんど毎日のように聞きました。平年より一週間ほど早い桜の開花を、異常と思うかこれくらいはと思うか人それぞれでしょうが、一日でも早い春の訪れを待ち焦がれていた寒がりの私にとっては、冬を見送る嬉しさと、この程度の寒さで終わってしまった今年の冬の物足りなさに、ちょっと複雑な気持ちです。

「春」という字を白川静著常用字解でみると、元の字はくさかんむりの下に屯を書いてその下に日を書く「しゅん」という字を作り、音符は「屯(とん)」。「屯」は「純」のもとの字で、織物の縁(へり)の糸を結びとめた房飾りの形で、この字の中では、寒い冬の間、閉じこめた草の根を意味し、それが日の光を受けてようやく芽を出そうとする意味だそうです。
因みに、編み糸の末端を結びとめた形に氷を加えて「冬」となり、糸の末端を示す糸へんを加えて「終」の字が作られたそうです。
甲骨文字には四季の名を確かめる資料がなく、二千数百年前の金文に至って、春のもとの字の「しゅん」が現れると書いてあります。

暖冬の原因はと言うと、「エルニーニョ現象」と言わずとしれた「地球温暖化」があげられるのですが、とどのつまりは「異常気象」が基本にあるということらしいのです。
大雨、洪水、干ばつ、ハリケーンなど大きな自然災害が起こるたびにいわれる異常気象ですが、まだ異常と言われるうちは救いようがあるのでしょうか。京都議定書も解決策ではなく、まだ過程に過ぎず、こうしている間にも、水没してしまう危険のある国、自然の変化に対応できなくて苦しんでいる人たちと、温室効果ガス削減の割合の数字合わせをしている人とでは、危機感の度合いが違うように思えます。
私達の国がこの問題で特別議論しているようには思えないのですが、過去百年間で世界の平均気温は0.67度、日本はこれを上回る1.07度上昇しているそうです。そしてこのままでは、来世紀初め世界の平均気温は約5度上昇するとの予測があるそうです。
この頃思うことですが、風力発電の巨大なプロペラが自然エネルギーの利用という目的より、観光オブジェのように扱われていると思うのは私の僻目でしょうか。地熱発電という言葉は最近聞かなくなりました。
大人の責任として、子供たちにどのような地球を残してやれるのか、具体像とそのためのプロセスを示せたら良いのですが。


京都市の東を流れる鴨川は出町柳で加茂川と高野川に分かれます。私の家はその高野川の上流にあるのですが、一昨年の初夏の頃でしたでしょうか。出町柳付近や私の家の近くあたりの川にショベルカーが入って、小さな岸や中州を潰していきました。いちめん川面になってしまったのですが、その年雨が少なく水かさが減ったせいか、水の中からすぐに草が生え始め、夏が終わる頃には水面が見えないほどの草むらになってしまいました。
去年の春の終わり頃、ショベルカーのショベルの代わりにカッターの刃をつけた車が川に入って、草を50センチほど残して刈っていきました。少し雨が降ると上流から流れてきたゴミが刈り残した草に引かかっていたのですが、梅雨の終わり頃の大雨で水かさが増した後、水が引いた後には大きな中州が出来上がっていました。以前あった岸に変わって、今はその中州が水遊びの場所になっています。
京都は水鳥が外敵から身を守るため、草むらが隠れ家になるようにと、草を50センチほど残して刈っているというのを、秋に知りました。
今、草と草に引かっかったごみの間を、カモやサギが泳いでいます。
この先、どのように川の形が変わっていくのでしょうか。


去年の秋頃4万幾つかだった来訪者を示すカウンターが、いつの間にか3桁になっていました。まあいいかと思っています


梅が咲いた頃はすぐにでも春がくるような気配でしたが、その後何度か冬を見送ろうとして立ち止まっていました。
ようやく春です。
例年より静かに春を迎えているような気がしています。

能登は独特な風土、文化を持った美しいところという印象があります。
和倉温泉駅には「能登はやさしや土までも」と言う看板が掛かっていたのを憶えています。
心穏やかな日々が、一日でも早く戻ってくることを祈ってます。

2007年 弥生 晦日の頃