近況報告 2007.8月


蝉の声が変わり、秋の虫が鳴き始めました。
皆既月食の赤い月を見て、雨が降り始めました。
季節が夏から秋へと移ろっていく準備は、ゆるやかに整っていきます。

一昨年に続いて、法然院の方丈をお借りして演奏会を行います。
9月30日(日)、タイトルは「琵琶語り〜小栗判官」です。(チラシはこちらへ。)
今回は、いつも使っている筑前琵琶と違って、肥後琵琶を使っての「小栗判官」です。

肥後琵琶は九州に根付いた盲僧琵琶の一種で、その歴史は1674年(延宝二年)京都の舟橋検校が、肥後藩主細川候に召されて熊本に行き、盲僧たちに浄瑠璃を教えたのが始まりとされています。
そのため、他の盲僧琵琶の演目が宗教行事に限られるのに対して、肥後琵琶は、説教節と言われる「小栗判官」や「俊徳丸」、九州に題材を取った「菊池くずれ」や「柳川騒動」、チャリと呼ばれる滑稽物、荒神祓いなどの御祓い、ワタマシと呼ばれる新築の行事など、幅広い演目を語ってきました。

今回演奏する「小栗判官」は、国の選択無形文化財である肥後琵琶の演奏者であった山鹿良之(やましかよしゆき1901〜1996)が、92年に作成された青池憲司監督による長編記録映画「琵琶法師 山鹿良之」の撮影の中で、彼自身が演奏した約6時間に及ぶ小栗判官の演奏を、平成2年度第6回テアトロ・イン・キャビン戯曲賞を受賞した劇作家の神原くみ子氏にお願いして、短く構成し直してもらったものです。

山鹿良之は、少年時に目をわずらい、22歳の時、天草の座頭、江崎初太郎について琵琶語りを習得して以来70年あまり琵琶一筋に生きてきて、門付けや民間祈祷の生活の中で、5人のお子さんを亡くすという悲運にも見舞われましたが、そうした逆境をこえて生まれてきた師の語り口は、野武士を思わせるほどの力強さがありました。
「琵琶弾きは見かけじゃなか。芸をみがけ。」いつも思い出す言葉です。

山鹿良之が亡くなってから、もう11年が経ちました。
私が付き合ったのは晩年の6年間ですが、熊本県玉名郡南関町の師の家に泊まり込んで、一緒に過ごした日々の事など思い出しながら、もう一度あの頃の気持ちに立ち返りたく、企画した今回の演奏会でもあります。

未熟ですが、お付き合い戴けたら幸いです。

2007年 葉月 晦日の頃