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2月28日、寒いのを覚悟で出かけた英国グラスゴーは、北海道よりも北にありながらメキシコ湾暖流のおかげで京都よりは暖かく、「曇り時々雨一時晴れ」とか「晴れ後雨時々曇り」とかの山のような天気さえ気にしなければ、程よい湿気が快適で、朝など繰り替えしテレビから流れる天気予報など、何の約に立つのかと思いながらも、偏西風の強さと今日も雨が降るという確認にはなるようで、日本人の天気予報好きにはありがたい事でした。 スコットランドの中心として栄えたこの街は、12世紀にはグラスゴー大聖堂が、15世紀にはグラスゴー大学が創設され、16世紀頃から街の中心を流れるクライド川の水運を用いた貿易が盛んになり、18世紀半ばには、薄紫に染まるヘサー(ヒースと呼ばれる低木)の丘、澄んだ大気、緑深い入り江に包まれたスコットランド有数の美しい小都として栄えたそうですが、産業革命によって街の様相は一変します。 近くで採掘される石炭鉄鉱石によって工業化が進み、海運を通じて造船が発展し、クライド川のドッグには「蒸気船(スティマー)」とあだ名の付いた酔っ払いがたむろするようになります。世界で始めて「ティールーム」がこの地で誕生した要因です。 1870年代、産業と交易による富の蓄積をもたらしたこの街のエネルギーが徐々に生活のゆとりと健康への関心に向けられ、それに伴い「蒸気船」が通うパブと同じ数の「ティールーム(節酒レストラン)」が出現しました。キャッチフレーズは、「その一杯は元気をもたらすが決して酔わせない」。 グラスゴーは、建築家、デザイナー、水彩画家のチャールズ・マッキントッシュ(1868〜1928)の出身地でもあります。27歳の時に設計したグラスゴー美術大学を始め、1914年にこの地を離れるまで、数多くの作品を残しましたが、若くして才能が注目され、アールヌーヴォ、アールデコの先駆者として多大な影響を与えた割りに、そのデザインが斬新すぎた故に、彼の業績が評価されたのは没後20年も経ってからで、晩年は不遇な時を過ごしたそうです。 その彼が設計したマッキントッシュ教会を会場に2月24日から3月2日まで開かれたイベント「KIMONO Mackintosh ' 08」に地唄舞の古澤侑峯氏と共に招かれ、3月2日侑峯氏の源氏舞「夕顔」「葵の上」の伴奏と、琵琶の即興で一曲演奏させて頂いたのですが、その前に行われた着物ファッションショーと公演の模様は、http://www.learnsushi.co.uk/km_08/Sites.htmlで御覧になることができます。 いつもの事で、観光などほとんど出来なかったのですが、グラスゴーが誇る美の殿堂と呼ばれるケルヴィングローブ美術館には行ってきました。そして、ウイスキー醸造所にはもちろん行ってきました。パブでは、隣に立ったオッサンからウイスキーの話を聞かされながら(ほとんど分からなかったけど多分そんな事だと思う)、彼がおすすめのモルトウイスキーをたくさん御馳走になりました。 とりあえず、憧れのスコッチの里は楽しむことができました。
6月14日(土)午後3時より京都の京菓子資料館龍宝館で行われる第20回沙羅の宴で、尺八の小山菁山師、三弦の伊藤志野師と共に今年も演奏させて頂きます。
内藤忠俊という武将を御存じでしょうか。洗礼名ジョアン(如安)。
5月12日、下鴨神社(賀茂御祖神社)では、15日の葵祭に先立つ御蔭祭が執り行われました。 2008年 皐月 上弦の頃 |