近況報告 2008.5月


2月28日、寒いのを覚悟で出かけた英国グラスゴーは、北海道よりも北にありながらメキシコ湾暖流のおかげで京都よりは暖かく、「曇り時々雨一時晴れ」とか「晴れ後雨時々曇り」とかの山のような天気さえ気にしなければ、程よい湿気が快適で、朝など繰り替えしテレビから流れる天気予報など、何の約に立つのかと思いながらも、偏西風の強さと今日も雨が降るという確認にはなるようで、日本人の天気予報好きにはありがたい事でした。
スコットランドの中心として栄えたこの街は、12世紀にはグラスゴー大聖堂が、15世紀にはグラスゴー大学が創設され、16世紀頃から街の中心を流れるクライド川の水運を用いた貿易が盛んになり、18世紀半ばには、薄紫に染まるヘサー(ヒースと呼ばれる低木)の丘、澄んだ大気、緑深い入り江に包まれたスコットランド有数の美しい小都として栄えたそうですが、産業革命によって街の様相は一変します。
近くで採掘される石炭鉄鉱石によって工業化が進み、海運を通じて造船が発展し、クライド川のドッグには「蒸気船(スティマー)」とあだ名の付いた酔っ払いがたむろするようになります。世界で始めて「ティールーム」がこの地で誕生した要因です。
1870年代、産業と交易による富の蓄積をもたらしたこの街のエネルギーが徐々に生活のゆとりと健康への関心に向けられ、それに伴い「蒸気船」が通うパブと同じ数の「ティールーム(節酒レストラン)」が出現しました。キャッチフレーズは、「その一杯は元気をもたらすが決して酔わせない」。

グラスゴーは、建築家、デザイナー、水彩画家のチャールズ・マッキントッシュ(1868〜1928)の出身地でもあります。27歳の時に設計したグラスゴー美術大学を始め、1914年にこの地を離れるまで、数多くの作品を残しましたが、若くして才能が注目され、アールヌーヴォ、アールデコの先駆者として多大な影響を与えた割りに、そのデザインが斬新すぎた故に、彼の業績が評価されたのは没後20年も経ってからで、晩年は不遇な時を過ごしたそうです。

その彼が設計したマッキントッシュ教会を会場に2月24日から3月2日まで開かれたイベント「KIMONO Mackintosh ' 08」に地唄舞の古澤侑峯氏と共に招かれ、3月2日侑峯氏の源氏舞「夕顔」「葵の上」の伴奏と、琵琶の即興で一曲演奏させて頂いたのですが、その前に行われた着物ファッションショーと公演の模様は、http://www.learnsushi.co.uk/km_08/Sites.htmlで御覧になることができます。

いつもの事で、観光などほとんど出来なかったのですが、グラスゴーが誇る美の殿堂と呼ばれるケルヴィングローブ美術館には行ってきました。そして、ウイスキー醸造所にはもちろん行ってきました。パブでは、隣に立ったオッサンからウイスキーの話を聞かされながら(ほとんど分からなかったけど多分そんな事だと思う)、彼がおすすめのモルトウイスキーをたくさん御馳走になりました。
とりあえず、憧れのスコッチの里は楽しむことができました。


6月14日(土)午後3時より京都の京菓子資料館龍宝館で行われる第20回沙羅の宴で、尺八の小山菁山師、三弦の伊藤志野師と共に今年も演奏させて頂きます。
20回と言っても特別なことは何もありません。ただ、いつものように淡々とです。


内藤忠俊という武将を御存じでしょうか。洗礼名ジョアン(如安)。
丹波八木城主、備前守宗勝の子として生まれ、幼名は五郎丸。乳母となったキリシタン女性カテリナから影響を受け、京都、南蛮寺において宣教師ルイス・フロイスより「ジョアン」の洗礼名を授かりキリシタンとなり、高槻城主、高山右近とは竹馬の友。
のち将軍足利義昭に仕え織田信長と戦い、八木城落城後は義昭と共に鞆の浦に隠棲。その間に、語学、薬学の知識を得たと言われています。
秀吉の朝鮮出兵に従軍し小西行長の客将として講和使節の大任を命ぜられ、朝鮮を経て明国北京に赴き、苦労の末、締結に導きますが、秀吉は再度出兵。交渉は決裂。のち秀吉の死によって終結。
関ヶ原の合戦で行長を失った後は、高山右近を頼り加賀の前田家に身を寄せますが、徳川幕府のキリシタン弾圧が激しくなり、改宗を迫られますが、信仰を貫き、慶長19年(1614年)右近と共にルソンに追放せれ、マニラでは信仰者の鏡として歓待を受けますが、右近は到着後まもなく病死。如安は、その後も中国の医学書や宗教書の翻訳などもしつつ、現地人や日本人町の指導者として活躍。寛永3年(1626年)マニラにて73歳の生涯を閉じます。
彼がキリシタンで、国外追放された罪人であったため、長くその功績のすべては抹殺され、封印されておりましたが、何ごとにも屈することなく自らの良心と信仰を貫いた生き方、また、危険をも顧みず北京へと赴いた如安の外交的手腕と、普遍的な人間性の豊かさなどが見直され、近年、隠れた英雄を掘り起こす気運が見えているそうです。
そんな彼の物語が、歌芝居と言う形の曲になりました。8月3日、廣瀬義彦先生の喜寿記念祝賀コンサートでの演奏に、参加させて頂きます。


5月12日、下鴨神社(賀茂御祖神社)では、15日の葵祭に先立つ御蔭祭が執り行われました。
境内でいただいた解説によりますと、比叡山麓の八瀬御蔭山に鎮座する下鴨神社の摂社御蔭神社で新しくお生まれになった荒御魂をお迎えし、御本宮の和御魂と御一体になって頂き、賀茂御祖皇大御神の若返りを願う神事だそうです。
100人前後の行列に娘が童として御金幣を持つ役所で加わったため、初めてゆっくりと見させてただきました。
祭りというものは良いものです。

春です。
どうぞご自愛ください。

2008年 皐月 上弦の頃