近況報告 2010.5月


6月20日、22回目となる「沙羅の宴」ですが、「えん」の伊藤和子さんに主催していただくのは今回が最後となります。
京都北山にある「愛染倉」の京都市内を一望できる高台にあり、風が竹の枝を通り抜ける音が心地よい「高史家」を会場に、愛染倉の庭園にある沙羅の花が咲く6月の第4水曜日に平家物語をということで始まりました。その後、京菓子資料館に場所を移し土日に開催するようになり、ここで5回公演した後、去年は大正時代に建てられ京町家の建築様式を残す紫織庵を使わせていただきました。
今回、05年「闇のさやぎ」や07年「小栗判官」の公演で使わせていただいた法然院の方丈で演奏させていただきます。
来年からは、また違った形で続ける予定ではおりますが、取りあえず今回、感謝の意を込めまして、伊藤さんの希望する曲目を入れさせていただきました。
東山のふもとにたたずみ、自然豊かな森に囲まれた法然院の一番奥まったところにあって、1687年にもと伏見にあった後西天皇の皇女の御殿(1595年建築)を移建した方丈の座敷で、庭の新緑の風景とともに、黄昏時のゆっくりとした時間の流れを楽しんでいただけたらと思っております。


もう一件、「沙羅の宴」の翌週になりますが、南禅寺門前にある西福寺で「第一回上田秋成を語る」と題して公演させていただきます。第一回とありますが、第二回があるかどうかは未定です。
昨年10月、天理図書館で開催された上田秋成展で、『雨月物語』の中から「菊花の約」と「仏法僧」の二曲を演奏させていただいたのですが、その後、天理図書館の大西さんが、上田秋成のお墓がある西福寺で、没後200年の今年秋成の命日にと、この企画をまとめてくれました。
秋成について、前回少し書かせていただきましたが、贈り名は「三余無腸居士」、墓に刻まれているのは「上田無腸翁之墓」。
「無腸」は「蟹」の意で、「人皆縦を行けば、余一人横に行くこと蟹の如し。故に無腸と言う。」との秋成自身の言葉に由来するものと思われています。13回忌に伊藤若沖が彫ったという墓の台座も蟹の形をしています。西福寺の前にある旅館八千代には、秋成が草稿五束を投げ捨てた井戸が今も残っているそうです。
これだけでも、いかにヘンクツモノだったか分かるような気がします。
今回、簡単に法要を済ませた後、大阪大学の飯倉洋一教授に『「菊花の約」試解〜尼子経久の役割〜』と題して講演していただき、その後、昨年演奏した二曲に加えて、「青頭巾」を演奏する予定です。
ちなみに、7月17日〜8月29日、京都国立博物館で、没後200年記念上田秋成展が開催されます。西福寺にある木造りの座像も出展されるそうです。

どうぞお暇がありましたらお付き合いください。


五月の連休の一日、友人三人と連れもって、大阪市立美術館に行った帰り、新世界に行きました。なんと通天閣に上がるには2時間待ち。今や新世界は、以前のように時代に取り残されたような街の面影は無く、若者や家族連れが闊歩する串カツの街に変わってしまいました。
オッサン達がゆっくりと過ごせる街はどこにあるのだろうか。


季節が行ったり来たりです。
どうぞご自愛ください。

皐月十六夜の頃