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肥後琵琶の由来、歴史について、私が知っている範囲は、酒の席でおそらくこんなものでしょうと言える範囲で、ここで詳しくみなさんにお知らせするほどの知識が、申し訳ないことながら、私には無いのです。 機会を改めまして、お知らせ出来るようにすることと致しまして、師である山鹿良之について書かせていただくと、 山鹿良之(やましかよしゆき)芸名、玉川教演(1901〜1996)。熊本県玉名郡南関町生まれ。幼少より目が悪く、22歳で天草の江崎初太郎(玉川教節)に弟子入り。修行途中の2年で南関に帰り、名開きして、その後、演目を増やしながら演奏活動を続けて行きます。 演目としては、古浄瑠璃の形式を伝える「小栗判官」や「俊徳丸」、九州の戦記物に題材を取った「菊池くずれ」や「柳川騒動」、「チャリ」と呼ばれる滑稽物、「荒神祓い」などの祓い、「ワタマシ」と呼ばれる新築の神事など幅広く、それらの語り物の多くは2段〜7段(1段は約40〜60分)前後に及ぶ中・長編物で、常に40曲ほどの演目が用意されていたそうです。 そんな師匠のもとに1990年から通い始め肥後琵琶を習ったのですが、実際には琵琶を持っている時間より、一緒にお酒を飲んでいる時間の方が長かったので、教えていただいた曲は、端唄と呼ばれる短い曲を数曲と、「小野小町」「道成寺」「石童丸」くらいです。 5月14日、国立文楽劇場で「道成寺」を演奏するのに使わせていただく玉川教海と言う名前は、父親の代から山鹿良之のお世話をしてこられた熊本県山鹿市の木村理郎氏が、生前師から頂いた名前を、2002年7月師の7回忌法要に親族・近親者が集まった際、私に譲ってくださった名前です。 今回から肥後琵琶を演奏する際、使わせていただくことにしたのですが、まだピンと来ておりません。 多少の恥ずかしさ、照れくささもあって、慣れるのには時間がかかりそうです。
街がすべて津波にさらわれていくというようなショッキングな映像を見せられるとは思いも寄らないことでした。 2011.4.20 |