近況報告 99.冬


 三千院で有名な大原のあたりから流れてくる高野川と、鞍馬・貴船からの流れが雲ヶ畑川と合流して流れる賀茂川が、出町柳で合わさって鴨川となり、京都の街を流れていきます。鴨川はやがて京都の西側を南下する桂川に合流し、淀のあたりで宇治川と、さらに木津川と合わさって淀川となり大阪湾へと流れ込みます。下鴨神社(正式名称は加茂御祖神社)は、高野川と賀茂川が合流する所のすぐ北にあり、その参道はうっそうとした糺(ただす)の森に覆われています。落葉樹の多いこの森は、三〜四千年前の山城原野の風景を今に残している所だそうで、その中を、六月には蛍が飛びかった泉川・瀬見の小川が流れています。
 五月の末に糺の森の西側にある、小津安次郎の映画に出てくるような家に移り住んで、早半年が過ぎようとしています。今は森が美しい季節です。暖かかった今年の夏と秋を過ぎ、落ち葉の時期を待ちかねていたかのように、木々の葉がいろんな色に変化しています。大阪の夏も人に言わせると、暑いことで有名だったそうですが、京都の夏はそれ以上だといわれながら、一夏過ごしてきました。今、京都の冬はもっと大変だと言われています。確かに、この家はすきま風が寒そうです。僕は18歳の時に実家をでてから、もう10回ほど引っ越ししていますが、最近はマンション暮らしが続いたものですから割と暖かく過ごしてきました。どうなることやらと思っています。とにかく、もうすぐ本格的な冬の到来です。
 京都に来てすぐの頃、東京に住むギタリスト、中村ヨシミツ氏から電話をもらいまして「明日、京都でライブするんだけど、共演者が病気でこれなくなったので、かわりに出てくれない。」と言われ、場所を聞くと、家から五分ほどの酒場でした。歩いて琵琶を弾きに行ったのは、大阪に住んでいた頃、娘の通っていた保育園で演奏したとき以来、二回目です。おかげで、行きつけの飲み屋ができたのと、家のすぐ近くに住む佛像彫刻の方に出会いまして、表札を書いてもらいました。ありがたいことです。京都という狭い町に住むということはこうゆうことかと、へんに納得したりもしました。
 11月も終わり近くになって何をしたかと思いだそうとすると、今年を振り返るような気がしてきます。
 6月、大阪トリイホールでの、山本公成氏との「improvisation」と銘打ったコンサートでは、たっぷりと即興の楽しさを味わうことができました。野外とかイベントではよく一緒に演奏していたのですが、ホールでしたのは初めてのような気がします。約70分の演奏時間は、ゾクゾクするほどうれしい時間でした。客が飽きずに(?)聞いてくれたのは正福院猫丸氏の美術と照明のおかげです。去年、雨で仕切り直しとなった、三重県三瀬谷でのコンサートでは、今まで見たこともない蛍の乱舞を見ることができました。
 8月、舞踏家竹之内淳氏の「超絶即興響奏舞曲--じねん--最終章」では、十数人の演奏者が、三年半にわたって500カ所以上を公演してきた竹之内氏に対して「竹ちゃん愛してるよ」のコンセプトの元に演奏を繰り広げる、二度と経験できないようなミュージッシャン達と竹之内氏との交流会でした。
 9、10月はいろんな場所で月見を楽しむことができました。京都長岡天満宮、滋賀県朽木村の陶芸家宅、大阪能勢町の手作りパン屋、大阪天満宮、そして3月にオープンしたかぐや姫美術館では、山の端から上り始めた月が瀬戸内海の上に昇るまでの時間を、ゆっくり楽しむことができました。
 11月、熊谷直実を法然上人に紹介した聖覚上人ゆかりの寺、京都西法寺では、直実が陣羽織を仕立て直した袈裟の前で演奏することができました。
そして、奈良おおやまとの里では、すがすがしい空気の中で、素直になっていく自分を感じました。   
 ちまたでは2000年をいかに迎えるか、いろいろとあるようです。アナログ時計が単に12時の所を通過するだけではなく、ここはやっぱりデジタル時計が「0:00」を表示する方が実感があるみたいです。時々20世紀の総決算という言葉を聞くと、来年から21世紀が始まるかのように錯覚してしまいそうです。1900年代の総決算という言葉を聞くと、そんな大層なことと思ってしまいますが、山鹿良之師は96年も生きて1901年生まれのため、ミレニアムに立ち会えなかったと思うと、やはり意義のあることなのでしょうか。
来年はキリスト生誕2000年目ということなのかな。ではお釈迦さんは何歳になるなかなと思ったりもします。
 Y2K問題でいろいろ大変なこともあるようですが、何事もなくすぎていくことを願っています。ともかく、僕はだらだらと過ごしたいと思っています。
 それではまたです。
霜月みそか