1990年代 主な演奏履歴


1991年9月21日 スタジオ73(高槻市)
 ぼろぼろ日記〜琵琶三昧〜
  プログラム
   1. トラフィック          ミュージックコンセプト 坂出達典
   2. 夜〜チェロと琵琶のための〜   作曲 東枝達郎 チェロ 雨田一孝
   3. Sun-set            作曲 片山旭星
   4. 隅田川             筑前琵琶唄
1992年2月〜3月 伊丹AIホール他全国15カ所
 虫丸独儀「陰陽河」〜イシヅチ〜
  藤條虫丸(天然肉体詩人)
  片山旭星(筑前琵琶)
  正福院猫丸(天然造形作家)
虫丸独儀「陰陽河」〜イシヅチ〜プログラムより
 「何かおもしろいことしまひょ」虫丸氏はいつもそんな感じで声をかけてくる。僕は少しとまどいながら「ハァ」と答える。三年間くり返されたことだ。そして彼は、僕の前で生命の断片を綴る。僕は彼の存在する空間を、少しナナメにかまえて見つめる。僕は風を捜す。彼のからだを包み込む風の音を捜す。いや、捜さなくても、そこには音が充満している。彼が僕のイマジネーションをそうかきたててくれる。僕は、そこを漂う空気に心をまかせて琵琶をひく。信頼するスタッフ、友人が僕の心を暖かくしてくれる。そして僕は夢を見る。三年間くり返されたことだ。
 今日も、これからも夢を見たいと思う。僕が琵琶をひく限り、夢を見たいと思う。今日生きていてよかったと思う。たくさんの人に会いたいと思う。もっと人を愛したいと思う。夢を見続けたいと思っている。
1992年6月27日 京都長岡天満宮社務所
 九州に残る琵琶法師の語り
  プログラム
   1. 餅酒合戦
   2. 小野小町
   3. 道成寺
   4. 端唄 ぎにあらたま
        梅は匂いで
        一花ひらいて
解説・紹介 (兵藤裕巳 埼玉大学助教授)
■九州の座頭琵琶
 シルクロードを経由して日本に渡来した琵琶には、大別してふたつの系統があったようだ。ひとつは、遣唐使などによって畿内中央に公式に伝えられた雅楽琵琶。もうひとつは、大陸から直接九州地方に渡来したとみられる琵琶法師の琵琶、座頭琵琶だ。
 琵琶法師の琵琶は、携帯に便利なように、雅楽琵琶よりもひとまわりこぶりにできている。棹(さお)のにぎりが太く、柱(フレット)の数も多いという独特の作りだが、「平家物語」などの様々な物語を語り、祝言や竈(かまど)祓いなどの宗教儀礼にたずさわった中世の座頭=琵琶法師は、しかし十六世紀末頃から、しだいに新しい三味線音楽に転向していったようだ。東北地方の奥浄瑠璃、有名な津軽三味線、北陸の五色軍談などは、どれも座頭三味線の系統である。近世の語り物音楽を代表する浄瑠璃・文楽も、もとは座頭の三味線から出発した。
 時代の流行が琵琶から三味線へ移行する中で、しかし九州地方だけは、座頭の琵琶が江戸時代以後も行われた。理由のひとつは、九州の座頭琵琶が、竈祓い・わたまし(新築の祝言)等の宗教神事と密接に結びついて存在したからだろう。法具としての琵琶のあり方が、三味線との交替を困難にしたのだが、芸能者が同時に宗教者でもあるという中世的な芸能伝承のあり方は、現在の山鹿良之師(91歳)の琵琶のあり方にもうかがえる。

■山鹿師と片山旭星氏
 山鹿良之(芸名、教演)氏は、明治34年(1901)、熊本県玉名郡大原村(現、南関町)の農家に生まれ、四歳で左目を失明、22歳のときに、天草の座頭、江崎初太郎(芸名、教節)について琵琶語りを習得。以来70年あまり、琵琶一筋に行いてきた山鹿氏は、門付けと民間祈祷の生活の中で、5人のお子さんを亡くすという悲運に見舞われている。けれども、そうした逆境をこえて生まれた山鹿さんの語りー小栗判官・俊徳丸などーには、聴く者を身ぶりいさせるほどの説得力がある。熱狂的なファンの数は東京だけでもファンクラブが作れるほどである。
 そんな山鹿さんの琵琶語りを何とか次の時代に伝えられたら、と思っている。もちろん山鹿さんの芸は、その90年の人生と不可分に作られた。私達が、山鹿さんの芸を継承するなどということはおよそ不可能だが、せめて山鹿さんの琵琶の奏法、基本的な出し物のいくつかでも伝えられたらと思っている。片山旭星氏は、そのような私達の願いをかなえてくれる唯一の琵琶奏者である。
 片山旭星氏は昭和30年(1955)愛媛県生まれ。大学卒業後、筑前琵琶を菅旭香師に入門。現在、大阪・神戸・京都を中心に演奏活動を続ける筑前琵琶奏者だが、数年前から熊本県の山鹿良之氏宅をたずね、寝食をともにしながら、琵琶の奏法、弾き語りなどを修行。筑前琵琶でつちかったセンスと勘のよさで、山鹿氏の出し物「小野小町」・「道成寺」などを驚くべき早さで習得している。琵琶の奏法の確かさは、すでに師匠の山鹿氏も太鼓判を押している。とはいっても、もともと盲人の芸だけに、習得方法にはかなり困難なものがあるようだ。いいしれぬ苦労が多いことと思う。なんとか片山氏の努力に報いるような公演機会を数多く作りたい。関係各位のご協力・ご尽力をお願いするしだいです。
1992年10月
藤條虫丸・正福院猫丸と共にフランス(パリ・クレルモンフェラン)ギリシャ(アテネ)公演
1993年1月〜3月 伊丹AIホール他全国14カ所
 虫丸独儀「陰陽河」〜ウミノメ〜
  藤條虫丸(天然肉体詩人)
  片山旭星(筑前琵琶)
  若井博人(舞兵)
1994年2月〜3月 大阪ウイングフィールド他全国10カ所
 虫丸独儀「天聖降臨」
  藤條虫丸(天然肉体詩人)
  片山旭星(琵琶、シンセサイザー)
  若井博人、坊内由香(舞兵)
Lunatic−月をみるもの−
1994年6月11日 京都妙連寺
  宇田川妙(ピアノ・リコーダー・ヴォイス)
  ウベ・ワルタ(尺八)
  由良部正美(舞踏)
  片山旭星(琵琶)
1994年6月15日 大阪TORII HALL
    プログラム
  1. 弦月―宮沢賢治の詩による―      作曲 益田真理子
  2. 安宅                 筑前琵琶唄
  3. まえまえかたつむり―私家版梁塵秘抄― 作曲 東枝達郎
  4. 餅酒合戦・鯛の婿入り         肥後座頭琵琶

   片山旭星(筑前琵琶・肥後座頭琵琶)
 
1994年6月16日 大阪TORII HALL
  宇田川妙(ピアノ・リコーダー・ヴォイス)
  ウベ・ワルタ(尺八)
  由良部正美(舞踏)
  石川コボ(パントマイム)
  片山旭星(琵琶)
パンフレットより
月はMoonです。それをLunaと呼ぶ時、Moonには無いイメージがつきまといます。
月が昇り始めたときの黄色や赤に輝く大きな月や白く輝く満月は、狼男ならずとも不思議な狂気や自我にめざめた頃の少年の憧憬を思い出させてくれます。
太陽のもと、人は社会的立場で理性に従って生産をくり返しますが、月のもとでは人は私的な立場で感情に遊びます。
それは未知の記憶をさぐり、内在する思いを忘れかけた童話を思い出すように発情する、やさしい好奇に満ちた世界です。
Lunatic Landは、そんな夢の世界です。
Lunaticな出会いの中で、コメットのかけらを集めたような夢の断片詩集を、皆で綴れたらと思っています。
1994年7月〜8月 福岡市大博多ホール他全国6カ所
  スモール・スクール・ユース・シアター劇団公演
英国デヴォン州ハートランドにある「スモールスクール」の日本公演、シェークスピア原作「THE WINTER’S TALE(冬物語)」に音楽・語りで出演。
1995年2月〜3月 大阪TORIIHALL他12カ所
 虫丸独儀「POTARA」〜風ノ宮殿〜
  藤條虫丸(天然肉体詩人)
  片山旭星(琵琶、シンセサイザー)
  坊内由香(舞兵)
1995年4月
全国第3位の巨木のある佐賀県武雄市、川古の大楠公園為朝館に作られた、からくり人形「鎮西八郎為朝の黒髪山の大蛇退治」の語り・琵琶演奏を担当。
1995年6月〜1996年2月 京都市CAMP、四条畷市えにし庵
   平家物語

  片山旭星(筑前琵琶)
  市瀬幸子(語り)
「平家物語」シリーズとして全5回、14曲を演奏。
おわりに
 「平家物語」の成立について、「徒然草」によると、雅楽の琵琶の名手である信濃の前司行長が、声明の大家である比叡山の慈鎮(じちん)和尚の援助と勧めで平家物語を作り、盲僧琵琶の奏者、生仏(しょうぶつ)に教えて語らせたとあります。そして、それには、平家一族の興亡、源氏と平氏を中心に繰り広げる戦記物語りの形を通してどんな強いものでも、いつかは滅びる。いかに栄えている政権でも、いつかは滅びる。だからこの世ははかないもの、来世こそ永遠であるという仏教的な無常観が流れています。

 「武士(もののふ)の、有為転変を感ずれば、夢まぼろしの如くにて、夢よりもなお、はかなけれ。」敦盛の話の冒頭で唄った歌詞です。平家物語は、12世紀の貴族社会から武士社会へと変化する激動する歴史と、それに必然的に巻き込まれてゆく人間の運命が、それぞれの時代を生きている民衆の支持を得て語り継がれ、今日でもいろいろな形で表現されています。

 この物語の第一回は、鹿ヶ谷の後、清盛が後白河法王を鳥羽殿に幽閉しようとするのを、清盛の長男、重盛が諌めるところから始まりました。そして、鬼界ヶ島に流され憤死する俊寛、その弟子有王。倶利伽羅峠の合戦での木曽義仲と今井の四郎兼平の勇姿。
 第二回は、かつては源氏につかえ、義仲を木曽へ逃しながら、倶利伽羅峠の合戦では平家の武将として義仲の家臣手塚太郎に討ち取られた斎藤実盛。平家の都落ちの最中、和歌の師である藤原俊成を訪れて、自分の詠んだ歌を託す平忠度。都へ入り平家滅亡のきっかけを作りながら、範頼・義経の鎌倉勢に追われ、粟津ヶ原で最期を遂げる木曽義仲、その愛妾巴御前。
 第三回は、わが子と同じ年頃の少年(笛の名手・平敦盛)の首を落とし、ついには出家する熊谷直実。備前児島に陣をはる平家の軍に対し、藤戸の浅瀬を探し出し、山陽道の平家を屋島へと追いやった佐々木三郎盛綱。源氏の軍が屋島にわたる際、船に逆櫓をつけるかつけないかで口論となり、不仲を決定づけた梶原景時と義経。
 第四回は屋島の合戦で能登守平教経の弓矢から義経の身を守るため、自ら犠牲になった佐藤嗣信。平家が賭け扇にと小舟に乗せて差し出した扇を見事に射落とした那須与一宗高。壇ノ浦の合戦で、義経を追い詰めながらも追いつけず、海に身を投げた能登守平教経、新中納言知盛、その他平家の一族。
 そして今回、安徳帝、二位の尼御入水の場面と、平家一族で唯一人生き残り、大原の里寂光院で出家して暮らす建礼門院の所へ、後白河法王が訪れ、万感の思いをこめて、世のはかなさを話される。そして女院の死をもって、この物語は終ります。

 多彩な登場人物が現れ、それぞれの運命の中で生き、死んで行きます。この物語は、そんな人たちが織りなす群像の物語です。僕は、そんな人間達を表現したいと思っていました。清盛が保元・平治の乱ののち、太政大臣となった後、20年も満たない間に平家は源氏に滅ぼされ、強者の権力を漂いながら、その権勢を維持してきた後白河法王も、源頼朝の圧力にねじふせられ、全国を統一した頼朝も、非業の最期を遂げ、その後を継いだ頼家、実朝も暗殺されて、天下は再び、平氏の北条家の手に移ります。勝者必滅の歴史の中で、生きていく人間の人生の一コマを表現したいと思っていました。少しでも想いが届いていたら幸せです。

 つきあってくれたスタッフ、足を運んで下さった皆様に感謝して、このシリーズを終ります。また、10年位たって、もう一度こんな事ができたらと思っていますけど・・・。
 それではまたです。
1995年8月20日 京都法然院
1995年8月24日 大阪TORIIHALL
 千夜(ちよ)あまり一夜(ひとよ)の物語
   第一楽章 「千夜あまり一夜の物語縁紀〜シンドバットの冒険」より
   第二楽章 「アラジンと魔法のランプの物語」より
   第三楽章 「ジャスミン王とアーモンド姫の優しい物語」より
   第四楽章 「大円団」

    宇田川妙(ピアノ・三味線・歌)
    山本公成(サックス・笛・パーカッション)
    中村岳(パーカッション)
    片山旭星(筑前琵琶・歌)
パンフレットより(宇田川妙)
 93年11月11日、高槻現代劇場中ホールで行われた「越前響太鼓」のコンサートで、太鼓、琵琶の片山旭星氏と共演するために書き下ろした曲(千夜一夜物語より「船乗りシンドバットの冒険」を、時代を平安朝に設定し、内容や言葉づかいも、当時の日本にふさわしいものに翻訳したもの)をもとに、四楽章からなる交響詩に発展させました。
 演奏は、より豊かなサウンドを求めて、新たに「千夜あまり一夜の物語バンド」を結成。邦楽、洋楽といったジャンルの垣根をとっぱらった手だれ揃い。現実には決して存在することのなかったパラレル・ワールド〜イメージの中だけに存在する世界〜の住人になりきれるすてきな仲間達です。それぞれのソロなどもフィーチャーして、カラフルな音絵巻を繰り広げます。
1995年9月〜10月
  イギリス(ロンドン、ハートランド、ヘーゼルウッドハウス他6カ所)
「The Tale of The Heike」公演
1996年6月3日
 ニューヨーク州立大学バッファロー校で開催されたコンピューター音楽祭「June in Bufalo」に作曲家振津郁江氏の作品を益子高明氏(percussion)と共に演奏。同作品を7月13日神戸ジーベックホール「コンピューター音楽の現在’96」にて北野徹氏と演奏。
1997年3月1日 高槻市立総合市民交流センター
「親子のための邦楽コンサート」の為の「古事記より(やまとのおろち、いなばのしろうさぎ他)を作曲。
1997年10月5日 大阪万国博ホール
 「チャンスオペレーション」
藤條虫丸・佐野眞紀子・由良部正美(舞踏)、山本公成(サックス)、田中峰彦(シタール)、福本卓道(尺八)、山崎晃男(ガムランパーカッション)等と共演。
1998年5月17日京都永運院
 Lunatic〜うつろひ〜
  プログラム
   1. 壇ノ浦悲曲
   2. 隅田川
   3. 道成寺

     佐野眞紀子(舞)
     山本公成 (ソプラノサックス)
     片山旭星 (筑前琵琶・肥後座頭琵琶)
「Lunatic〜うつろひ〜」によせて
◆今回の演奏会を企画したのは、梅だよりが新聞を賑わせている頃でした。ニュースに映る梅園の景色を見ながら行きそびれてしまいました。
◆桜の開花予想が出された日、六年前芝居で共演した人の死を知りました。次の日、電車の窓から柳の新芽をみつけました。
◆「この森で、天使はバスを降りた」の試写会に行きました。その日の満月を、いつもより美しく感じることが出来ました。
◆東大寺のお水取りも終わった日、伊勢で生まれて初めて赤米を食べました。白木蓮と桃の花が目に付くようになりました。
◆京都の堀川道りの柳の新芽が長く伸びた頃、また赤米を食べました。
◆桜の花がチラホラ咲き始めた日、新しく出来たライブハウスのオープニングレセプションライブに行きました。いつもより、少し美味しいお酒を飲んだ感じです。
◆暖かい雨が降った日、友人に女の子が生まれたのを知りました。街路樹が黄緑色の新芽を付け始めました。
◆春の冷たい雨が降った日、友人の結婚パーティに出席。そしてこの日は大学時代の友人の14回目の命日でした。そのころ住んでいた東京は雪の日だったのを覚えています。
◆旧暦のひな祭りにあわせて、ひな飾りを片付けました。そしてこの日、結婚したとき住んでいた家の近くの池へ花見に。お好み焼き屋のおばちゃんは元気でした。
◆初夏の陽気の桜が満開の京都で、南米のインディアンハープ「アルパ」とブラジルのお酒「ピンガ」を、併せて中国拳法十八羅漢拳を楽しみました。
◆その翌日、いきつけの飲み屋の皆さんと和歌山にある太田城を目指して花見に出かけたところ、太田城は存在せず、急遽行き先を和歌山城に変更。桜、美酒を満喫しました。
◆雨が降りました。桜の花びらが道を染め始めています。師匠の家に行った帰りの飲み屋で、少し飲み過ぎました。
 僕の梅の頃から桜の頃への季節の流れです。

変わるものがあります。
変わらないものもあります。
変わってはならないものがあります。
変わらなければいけないものもあります。
変わろうとして変われないものがあります。
変わりたくなくても変わるものもあります。
 月日の流れの中で、人は、逆らっても逆らい切れない大きなチカラに左右されながら生きていきます。それを不幸と思うか、幸せと思うかはその人の考え方次第なのかもしれません。

 今回の曲目に登場する人達は、それぞれに不幸を背負った人達です。壇ノ浦に沈んだ安徳天皇。人買いにさらわれた梅若丸、わが子を探し求める母親。蛇に化身し愛する安珍を焼き殺してしまった清姫。誰もが悲しいと思える人生を送った人達です。

 時代の流れに、人の心に、優しさを得られなかったとき、人はどんな思いを抱くのでしょうか。哀しみを越える哀しさを味わったとき人は何に救いを求めるのでしょうか。背伸びをしがちな少年達を大人と同等に扱いがちな大人社会の中で、キレテル少年達は社会に何を訴えているのでしょうか。世の中のうつろいは人の心をどのように変化させるのでしょうか。

 「Lunatic−月をみるもの−」と題して四年前に京都、大阪で演奏会を開きました。今回は「〜うつろひ〜」と題して、5月17日午後6時より京都黒谷の永運院で行います。 浄土宗大本山金戒光明寺「通称くろだにさん」の山内にある永運院は、天正19年(1591)永継阿闍梨によって開基されました。その院にある大正時代に整えられた庭園を舞台に、夕暮れから夜へとうつろいゆく時の流れを楽しんでいただけたらと思っています。

 この演奏会が終わると、5月末は伊勢に向かい、6/13三重県三瀬谷での「ほたるコンサート」、6/20「椿と菖蒲の里」の広島県沼隈郡、そして6/24には、もう10回目を迎える京都北山愛染倉での「沙羅の宴」と続きます。今年は、蛍と花は楽しめそうです。
 どうぞ皆様、すてきな春をお楽しみ下さい。
   それではまたです。
                                 卯月 吉日
1999年3月3日
 広島県竹原市「かぐや姫美術館」のオープニングイベントに山本公成氏と共に出演。
1999年6月7日 大阪TORII HALL
 「improvisation」
   山本公成(ソプラノサックス)
   片山旭星(琵琶)
   正福院猫丸(美術)
1999年11月1〜7日 京都京大西部講堂
 「異次元紀行’99 Babel Junction」
藤條虫丸、佐野眞紀子(舞踏)、雨宮志龍(DJ)、福本卓道(尺八)、庄子勝治(サックス)南澤靖浩(シタール)、劇企画パララン翠光団等と共演。