今、なぜベルカントなのか?【Oggi perchè bisogna belcato?】
僕も、声楽を習い始めからベルカントで歌っていたわけではないのです。しかし、実は今こうしてオペラやコンサートで歌っていられるのもベルカント唱法と出合ったおかげなのです。もし、ベルカントを知らないでこの年まで演奏していたら、とっくに声が消耗して今ごろ歌っていなかったと思います。
もっと早く若い頃にベルカントに出会っていれば、どんなにすばらしかっただろうと思い、声楽を勉強する方、一人でも多くの方に「なぜベルカントが必要なのか?」を知っていただきたいと思います。
ベルカントを一言で!【Si dice belcanto in brebe !】
以前にもベルカントとは何ぞや?と説明しましたが、イタリアに留学してからアッという間に約20年の歳月が過ぎ、やっと本当にベルカントとは何か?と悟れるようになった気がします。ベルカントを一言で言いますと「出すな!出されろ!」とか「自分は楽器!」何の事かと思われそうですが、声を出す事は、自分が楽器になったつもりで、自分の意志で発声をしない事です。
分りやすく言います。笛やトランペットを例にあげますと、これらの楽器は誰かが、人間でも猿でもが息を吹き付けないと音がでない。当然ですね。人間もこれと同じメカニズムで、誰かが息を声帯に吹き付けると、声が自然と出てしまう。さてこの誰かとは横隔膜の事です。すなわち横隔膜を上下して動かして肺から息を送り出すベルカント唱法が、自然な声で歌えるわけです。しかし人間は横隔膜を使わなくても、息なぞ吐かなくても、自分の意思で歌うことが出来ます。こうして出た声を残念ながら、のど声と言うのです。
僕はレッスンでもこの事を、一番、重要視して教えています。もちろん自分が歌う時もいつも頭の中で、繰り返しとなえています。どうしても「いい声を出そう!」「大きな声を出そう!」と思ってしまうのです。そうすると、自分の耳は満足しますが、頑張ってしまって、のどを酷使してしまいます。「自分は楽器に徹し、自分の意志で出すな!」これは自分にも生徒にも口すっぱく叫んでます。しかし、こうするためには「ベルカント唱法」で説明したテクニックが必要なのです。
ベルカントとの出会い以前【Prima di incontrarsi belcanto】
ベルカントと出会う前は、今思えば、それは惨憺たる状況でした。音大に入学し、当時、日本で最も有名な先生に師事していたのですが、発声の「は」の字も分らず、ただやみくもに、怒鳴っているだけでした。当然高い音も出ず、音程はいつもフラット。それなのに学年を重ねるごとにドイツリートや日本歌曲、フランス歌曲、ロシア歌曲、イタリアオペラと曲だけはどんどん進んで行くのですが、いつも満足に歌えたためしがありません。アリアを歌えば、最高音はいつもひっくり返り、その先生には「どうして出ないんですか?」と逆に質問される始末。挙句の果てには「バスにでもなりますか?」・・・・
しかし、なんとか根性でバリトンにとどまり、大学を卒業し、二期会の研究生などをやりながら、ぼちぼち仕事が舞い込んできたりしましたが、やはり確かな自身を持てる発声は分らず、試験や本番ではいつも不安で、行き当たりばったりの、喉に頼った歌しか歌えませんでした。
研究生の授業などで、せまい部屋で歌う時は、ビンビン響いてうるさいぐらいなのに、ちょっと広めのホールで歌うと、友人曰く「今日は調子悪かった?」と毎回言われ、そんなに調子悪くなかったのになぜだろう?と、当時は訳がわからず一人悩んでいました。
しかし、今はなぜだかはっきり分ります。喉に頼った声を出せば、そば鳴りの声しか出ないのは当然です。広い所で歌うと、反響も少なくなり、自分に聞える声が減るので不安になり、ますます喉で声を出してしまうのです。
そしてさらに悪い事に、地方周りの仕事が入ってきて、1日3ステージを一週間単位で、学校の体育館などで演奏するのです。その結果、そば鳴りの最たるのど声、俗に言う「体育館声」にどんどん磨きを掛けて行ってしまったのです。そんな時出合ったのが、(祝 佳子)のちの家内です。彼女がベルカントとの出会いを導いてくれるのですが、その前に声楽の教師についてちょと・・・
良い教師とは?【Che tipo di professore è eccellente ?】
自分もそうでしたが、教師を選ぶ時、有名な人がいいと思いますよね?有名な偉い人に教われば、「きっと上手になるだろう、いろいろな事を教えてくれるだろう」と期待します。僕も大学には有名な先生目当てで入りました。しかし声がどうしたら良くなるか?正しい発声はどうすればいいのか?習いたかったことは得られませんでした。有名な演奏家イコール優れた教師では必ずしもないのです。これは外国人の教師も同じことが言えます。世界的に活躍している歌手達は元々素晴らしい喉を持っており、あまり苦労せずに声が出た人が多いのです。彼らは一種の天才なんでしょう。天才には凡人の事は分りません。あまり声が出ない人を出させるよう導く事は良く分らないのです。ですから逆に「どうして出ないんですか?」と疑問に思うのでしょう。
イタリアでも本当に良い先生を探すのは大変な事です。有名な歌手にレッスンを受けるのは簡単ですが、必ずしも1から手取り足取り教えてくれるわけではありません。それは別に出し惜しみしているわけではなく、自分は自然と出来てしまった事ですから、どうしたら生徒が出来るようになるか根本的なところで分からないのです。
僕はラッキーな事にイタリアでは良い先生に恵まれました。日本人特有な喉声は、身体のどこをどうすれば、sul fiatoで良く前に出るように響かせられるか?また高音はどのようにpassaggioを超えて出すのか?音程がフラットするのは何が原因か?など具体的に辛抱強く教えてもらえました。
良い先生とは、本人も若い時声で苦労し、悩んで、良い教師から教わり、そして克服し、良い演奏をし続けてきた人です。そういう人こそ、生徒の悩みや苦しみが理解できて、抽象的なことではなく、具体的にどうすれば良いかを教えることが出来るのです。
イタリアの声【La voce italiana】
さて、家内と出会った頃、僕は日伊コンコルソの本選を控えていました。ベルカントとの出会いは、まだ先の事なんですが、地方周りで演奏する傍ら、コンクールを受けていたのです。その頃イタリア人の声を録音などで聞いて、「喉がびりびり響いてピーンと張ってるな〜!自分もそんな声を出しているんだろうな〜」と思っていました。とんでもない誤解です。声帯ばかり鳴らして横隔膜を突っ張って、声ばかり大きく、体育館声の最上級の喉声でした。しかし、当時はそんな事とは露とも知らず自身満々でした。が、頭の片隅ではこれでいいのだろうか?と不安をいつも抱えていたのです。
家内の先生はイタリアに留学し、現在でも1年の半分ほどはイタリアで過ごしている方でした。「コンクール前にちょっと見てもらったら」と言うので、レッスンに行き、最初ちょっと発声練習をすると「今、発声をいじると、歌えなくなるからコンクール終わってからにしましょう」と言われ、それ以上レッスンしてくれませんでした。これはかなりのカルチャーショックです。レッスンと言えば音程がどうだとか、ピアノだフォルテだとか、曲想だ、とかしか言われないレッスンしか知らなかったので、別にコンクール前だってちょと見てアドバイスしてくれれば良いのにと思いました。たぶん彼女は一発で、この喉声を修正するのは容易な事ではないと見抜いたのでしょう。
コンクールも終わり、彼女のイタリア人の先生(今は亡き、V・ボッローニ女史)が日本に来た時、レッスンを受ける事になりました。僕はコンクールでも賞を取って、自信いっぱいで歌いだしましたが、マエストラは「あなたの声は歌う声(cantare)ではなく叫び声(gridare)です」さらに「声が浅い(poco profondo」と言うのです。「なにをこのイタリア人は言うのだろう?僕はこんなにビンビン響かして、ふか〜く出してるのに、ちっとも分っちゃいないな〜」と今では赤面するような事を思いました。後に理解するのですが、イタリアの声はマスケラに響いて、空気中に漂うように飛んで行くのが(cantare)していると言い、のどに引っ掛からずに真っ直ぐ伸びていくのを「深い」と言うのです。当時は声を掘って、下から出しているのを深いと勘違いしていたのです。ベルカント唱法どころか、まだ歌う声(cantare)にすらなっていなかったのです。
しかし、この後ミラノに留学して、ボッローニ女史のもとで、しだいに「イタリアの声」に変わって行ったのです。
留学・イタリア・ミラノ【Sono andato a sutdiare a Milano in Italia】
さて、日本でのボッローニ先生のレッスン後、まだ半信半疑でしたが、やっぱり自分の声は何か違う。高い声も出しにくいし、ビブラートとは違う揺れが始まってるし・・・これは何とかしなければ!そう思い、日々留学への決意を固めて行ったのです。
いよいよ、89年10月、二期会オペラ「ラ・トラヴィアータ」の公演を無事終えたのを機会に、ミラノに留学しミラノ音楽院でボッローニ先生と勉強を始める事になったのです。
そして、普段の生活からイタリア語で会話し、スカラ座には、ほぼ毎日安い券(当時500円ぐらい)で観に行ったりしているうちに、しだいにイタリア語のポジションで歌う事が出来るようになってきたのです。
さらに友人の紹介で、テノール歌手のG.プランデッリ先生のレッスンに通い始めました。彼は「デル・モナコ」や「ディ・ステファノ」と同世代に活躍した歌手です。その当時は声の黄金時代、ヴェリズモオペラ全盛期でしたが、彼はベルカント唱法で歌ってイタリアの伝統を守っていました。レッスンではパッサッジョ・アクートを中心に教えて頂きました。
いよいよベルカントと出合った訳ですが、彼もまた偉大な歌手で、そう細かく身体の使い方などを伝授することはなかったのですが、彼の歌声を聞くだけで理解できる事はありました。最初、冗談の用にファルセットかな?と思うような声からキーンと実声に移行して行くのには驚きました。彼にそれはファルッセトですか?と聞くと、「ファルセット??No!mezza
voceだ!ファルセットではない!どんなにフォルテで出す時も、ピアノから入るのだ!」と怒られました。当時80歳を超えていましたが、それは若々しい声で歌ってくれました。
それと並行して、ヴェルディ音楽院のアダルベルト・トニーニ先生のレッスンも通うことになりました。彼はコレペティでスパルティートの先生です。彼のお父さんはアントニオ・トニーニ先生で、スカラで長年コレペティを務め、マリア・カラスやパバロッティを教えた偉大な人です。アダルベルトは子供の頃からお父さんと一緒にスカラに連れられて、往年の大歌手達の歌声を聞いていたそうです。そして、なるべくして彼の父の跡を継ぎ、コレペティとして活躍しています。
彼からは、徹底してマスケラに乗せる声を教わりました。彼の父がパバロッティに教え始めて、ある年代を境にパバロッティの声が一段とクリアになっているのが、CDなどで確認できます。同じようにアダルベルトは、コレペティにしては声のことを教えられる貴重な先生です。
彼の理念は、明瞭で正確なイタリア語の発音は、ポジションの高い豊かな響の声を創るという事です。外国人の僕らにとっては、イタリア語を正確に発音し音符に乗せるのは難しい事ですが、彼のおかげで、本当にイタリア語らしいイタリアの香りのする歌が歌えるようになったと感謝しています。
つづく・・・
プロ歌手養成コルソ
ついに・・ベルカント!
|