これまでの出演メンバー:
管・打楽器:金井麻子吉川奈津子遠塚谷佳世増尾慎悟金内智恵秋山直大布施雅章北村秀夫田中秀樹江花智子朝倉巧清水仁美
声楽:藤井玲南
ピアノ:川村弥矢島愛子北田法子小川知子冨田実里大月礼子手塚雪江永野博之増尾知子
ヴァイオリン: 石突直人鈴木千保河邑愛弓宇野格勝部弓理子櫃本亜希子小西達也藤平真理子孫尚卿石川統之尾作典子真鍋徹
ヴィオラ: 林俊夫大越夏子竹島愛弓大場清文志村和紀真鍋 徹芳仲聰林めぐみ大矢克宜浅井直樹
チェロ: 坂本謙太郎横沢康室裕文
コントラバス: 萩原大樹島田奈央奥俊晴


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(注)当ページの内容は多分に言葉遊びの要素を含んでいます

フルート:金井麻子 (Asako Kanai)


 小学校5年生でフルートを、ICU高校入学と同時にオーケストラ活動を始める。上智大学理工学部数学科在学中には、同大管弦楽団に所属。3年次には首席を務め、常任指揮者汐澤安彦氏が特に目をかけ年賀状まで送った希少な奏者である。在学中より現在まで、オーケストラ・ディマンシュで活躍。遠く昔、2004年に幕張ベイタウン・オーケストラに首席奏者として招聘され、ドボルザーク交響曲8番を好演した。
 「どんな時でも周囲に惑わされず自己の音楽を充分に表現し、逆に周囲を引き込むソリスト。一方で他者の表現を助けることも得意とし、フルート奏者にありがちなピッチの上ずりがないという最大の武器をもって内声も難なくこなす。演奏の正確さとバランスの良さには定評がある。これらは彼女の数学的研究から生まれたものなのか、はたまた日々接している花と緑の美しさが育てたものなのか・・・・。私生活では花屋勤務の傍ら、美酒美食を愛する料理上手な奥様でもある。」(幕張ベイタウン・オーケストラ フルート・セクション・リーダーによる遠い昔の推薦文)
結婚後姓は変わっているはずだが、チラシ制作担当者が変え忘れたため、以後旧姓で通している。


オーボエ:吉川菜津子 (Natsuko Yoshikawa)


 中学校の吹奏楽部でクラリネットを始めるも、高校のオーケストラ部では定員オーバーの憂き目に会う。がっかりして弦でもいこうかな〜と思っているところに、先輩『オーボエも黒いよ(・∀・)オイデ♪』とそそのかされてオーボエに。
 オーボエのリードがクラのリードの10倍の値段に唖然。ダマサレタ…。しかも、その先輩は2ヶ月でやめちゃって、オケなのにオーボエひとりぼっちな目にあう。
 そんな荒波にもまれた末、現在は丸の内交響楽団・JR東日本交響楽団に所属。メシドールアンサンブルには第10回、第11回演奏会に参加。
 口癖は『リードがなーい(涙)』


オーボエ:遠塚谷佳世 (Kayo Tohtsukaya)


 中学校入学と同時にヴィオラ奏者として管弦学部に所属し、音楽の道を歩み始める。進学した高校にはオーケストラがなかったため、オーケストラへの情熱は一時お預けとなったものの、吹奏楽部でオーボエという天与の楽器にめぐり逢う。以後、古部賢一氏に師事する傍ら、大学オーケストラ、かもめ管弦楽団幕張ベイタウンオーケストラ等で活躍。元ヴィオラ奏者であることをひた隠すまでもなく、周囲からは生まれたときからオーボエのリードを削っていたかのように見られている。
 最近では室内楽にも興味の幅を拡げており、trioこなず(オーボエ×2+ファゴット)、トントゥトリオ(フルート・オーボエ・クラリネット)、DUOあると+α(オーボエ×2+チェロ)を結成し、活動している。特にトントゥトリオでは2005年末に自主公演を催し、好評を博した。
 彼女を語る時に忘れてはならないのはトランペット奏者である夫の存在である。その熱愛振りは、「趣味」の欄に「アロマセラピー・ビーズ作り・和装・映画鑑賞」に並んで、「夫いじり(いじられ?)」と書くほど(きゃ〜えろっちぃ!!)で、客席から舞台上の彼女を見初めてしまっても、あなたの入り込む余地はない。とっとと諦めておくのが得策である。
 第6回演奏会出演後、夫の転勤が決まり、現在はシンガポール在住。玄関先に巨大な滝のある高級コンドミニアムで、悠々自適な駐在妻生活を送っている。


オーボエ:増尾慎悟 (Shingo Masuo)


 筑波大学出身。同大管弦楽団時代から、「変な曲」ばかりに取り組んでいる。特にオーケストラ・ディマンシュに参加して以来その傾向に拍車がかかっている。ベートーヴェンやブラームスの交響曲で主席を吹いたことがなく、R.シュトラウスやストラヴィンスキーを2〜3回吹いている。さらに最も多く経験している作曲家がレスピーギというキワモノ系奏者。第3回演奏会のモーツァルト:オーボエ四重奏曲は、ほとんど「初めてのお遣い」・・・もとい「初めてのモーツァルト」であった。
  増尾 「今度の曲首尾範囲外なんですよ・・・」
  他のオーボエ奏者 「今度の曲って?」
  増尾 「モーツァルト」
  他のオーボエ奏者 「オーボエの守備範囲のど真ん中じゃんか」
・・・という会話がなされたという噂はおそらく事実であろう。
 結果は「吉」と出て、「初めてのモーツァルト」ながら技術・表現力とも各方面から高い評価を受け、新境地を開いた。特に第3楽章で見せた超絶技巧、一気に全楽章を吹ききった体力は特筆に値する。


クラリネット:金内智恵 (Tomoe Kaneuchi)


 10歳でクラリネットを始める。都立青山高校を経て、上智大学文学部史学科入学。同時に、天職(=接客・販売業)に従事、また、上智大学管弦楽団に参加。以後、学業・天職・音楽・酒の四活動を精力的にこなす。
 上智大学管弦楽団入部早々に常任指揮者汐澤安彦氏に見出され、定期演奏会初出演をトップ奏者として迎えるなど、華々しいキャリアを築く。その後、一年半の長きに渡り同団首席奏者を務め、卒業に当たってはバッカス管弦楽団と共にウェーバーの協奏曲を演奏、絶賛される。
 卒業後は「天職」に注力し、音楽活動を縮小。後に転職。
 大雪をきっかけに、港南区ひまわり管弦楽団に参加、再び音楽活動を本格化。また、生涯の伴侶兼飲み仲間と出逢う。「きんちゃんが本当にきんちゃんになった」と評される(注:彼女の旧姓は「遠山」です)。
 妊娠中の自動車免許取得など、精力的な活動は留まるところを知らず、三児を育てながら仕事もし、音楽活動も以前にもまして活発である。
 メシドール・アンサンブルには第1回演奏会(ブラームス:クラリネット五重奏)第4回演奏会(伝ウェーバー:序奏、主題と変奏)、第6回(ベートーヴェン:七重奏曲)、第8回(シューベルト:八重奏曲)、第10回(プーランク:ピアノと管楽器のための六重奏曲)、第11回(ラインベルガー:九重奏曲)、第12回(ベートーヴェン:三重奏曲「街の歌」)、第13回(モーツァルト:五重奏曲)で登場。出演の間が空いているところに3度の出産を挟んでいる。子育ての傍ら、練習後の飲み会はかかさず参加しており、少子高齢化時代の模範的演奏者である。


ファゴット:秋山直大 (Naohiro Akiyama)


 神奈川県出身。中学入学後、友人に誘われ吹奏楽部に入部するも、あみだで負けトランペットからチューバへ転向、メロディーに飢える。高校の吹奏楽部では、木管楽器に憧れオーボエに転向するも、性格的にメロディー楽器に向いてないと悟る。
その後、上智大学管弦楽団の入団に際し、パート員が少なく出演回数が多そうなファゴットに転向。メロディと伴奏の程よい配合比率が性に合ったのか、やっと落ち着き、そのまま現在に至る。
大学卒業後、平日は航空機整備、週末はオーケストラ・ディマンシュで活躍している。近年は長女の誕生を機に、週末毎にオケと育児の両立に一喜一憂する生活を送る。  


ファゴット:布施雅章 (Masaaki Fuse)


 5歳からピアノをはじめる。ピアノの先生のご主人がコントラバス奏者だった影響で中学校の吹奏楽部に入りチューバとサックスを吹く(コントラバスの影響でサックス?)。高校の吹奏楽部で誰も希望者がいなかったことから、ファゴットを吹く。
 筑波大学在学中は同大オーケストラに所属する傍ら、木管アンサンブルを立上げ、上野奏楽堂などで公演。
 卒業後は都内のアマオケにあちこち出没していたが、転勤の都合などから現在はオーケストラ・ディマンシュに定着している。第8回演奏会で初登場。フルート奏者の軽〜い誘いを安請け合いして、泣くハメになった(泣いとらんでしょうが・・・)。


ファゴット:北村秀夫 (Hideo Kitamura)


 生まれは甲子園。高校時代は野球部で甲子園を目指したが夢叶わず、慶應義塾大学入学と同時に「神宮の星」への道を捨て、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラにてファゴットを始める。在学中、前田信吉氏に師事。大学4年時にはサントリーホール、ムジークフェライン・ザールベルリンフィルハーモニー・ザールでマーラーの交響曲第5番を演奏し賞賛される。
 大学卒業後は、西宮交響楽団、松戸シティフィルハーモニー管弦楽団幕張ベイタウンオーケストラなどなど数々の市民オーケストラで酒席奏者を務める。商社マンとして多忙な日々を送る一方で、年間15〜20回の演奏会をこなし、毎朝5キロのジョギングで17kgの減量に成功したというエネルギッシュな人物である。
 音楽以外にも魚釣りと日本酒をこよなく愛し、釣ってきた魚を自らさばき、音楽仲間と酒宴を催すことに至福の喜びを感じている。得意料理は真鯛の刺身、ヤリイカの天婦羅と塩辛、等々だそうだ(それで何で痩せるのか不思議である)。
 現在は南米ベネズエラに駐在中。息子と一緒にオーケストラでファゴットを演奏することを将来の夢としているらしいが、現地レポートを見る限り、それらしい気配は一向に見られない。


ホルン:田中秀樹 (Hideki Tanaka)


中・高の6年間,吹奏楽部のトランペット吹き。
高校3年の時、レーニングラード・フィル(現サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団)のチャイ5のホルンソロに雷撃を受け転向を決意。関西の某大学オケでホルン奏者となる。
卒業後約8年間は仕事に専念(?)するも、我慢できずに一番安いヤマハのB♭シングルを購入しホルン三昧の日々を再開。福岡市民オーケストラを皮切りに多数のアマオケを渡り歩く。また、各種アンサンブルにハマリ、様々な室内楽にも出没する。現在は、同志社東京アンサンブル、東京プロムナードフィルハーモニカー、板橋ホルンクラブに所属。
なお、ホルン奏法については生涯一度もレッスンを受けたことが無いが故デニズ・ブレイン氏を勝手に師と仰いでいる。


ホルン:江花智子 (Tomoko Ebana)


 母校(東京水産大学)とそのオケの名前が変って(東京海洋大学)しまった、自称下吹きのホルン吹きだが、実際得難い優秀な2nd奏者である。故郷の市原市のアマオケ(市原フィル)所属しているが、他の多くのオケにエキストラとして出演している。ウィークデーは、某食品会社に勤務。音楽とお酒を愛し, 特技は居眠り(本人の弁)。(某所より丸ごと引用)


トランペット:朝倉 巧 (Takumi Asakura)


埼玉県出身。小学校からトランペットをはじめ、高校時は吹奏楽を、大学ではオーケストラ(通称ワセオケ)に在籍。トランペットを井上雄二氏、築地徹氏に師事。大学卒業後も大学院というモラトリアムを利用し、大いにオーケストラ活動に励む。
最近はシンフォニーオーケストラに飽き足らず、オペラの演奏にも手を広げている。江東オペラ管弦楽団にて主宰者に捕獲され、サンサーンス七重奏曲でメシドール初参加。本人は「トランペット奏者にとっては夢のような企画」と語る。
目下ロータリートランペットにはまっており、ピストン式にはここしばらく触れていない。シャガールC管、レヒナーB管使用。D管もほしい今日この頃である。今回のサンサーンスはシャガールC管で臨む(弦楽器奏者には何が何だかサッパリ分からん話だ)。
なお、平常時は建設会社付設の研究所にて音環境関連の研究に励んでいる。一応博士(工学)。


打楽器:清水仁美 (Hitomi Shimizu)


幼稚園でカスタネット・木琴をはじめ、横浜国立大学管弦楽団、英国のCroydon Symphony Orchestraを経て、現在はみずほフィルハーモニー、アウローラ管弦楽団、オーケストラ・ダスビダーニャを中心に活動。打楽器及び鍵盤楽器(ピアノ・チェレスタ)奏者として、多くのオーケストラにとって欠くべからざる人材となっている。


ソプラノ:藤井玲南 (Rena Fujii


東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。卒業時に同声会賞受賞。東京藝術大学大学院在学中、ドイツのエアフルト歌劇場の総支配人から招待を受け、研修生として所属する。同劇場ではフンパーディンク『ヘンゼルとグレーテル』“砂の精・露の精”役でオペラデビュー、リーダーアーベントを開催。翌年にはライプツィヒ歌劇場にて研修生として研鑽を積む。その後ウィーン国立音楽大学リート・オラトリオ科卒業。
在欧中にモーツァルト『魔笛』“夜の女王”(スロヴァキア国立コシツェ歌劇場)、ロッシーニ『セヴィリアの理髪師』“ロジーナ”(グダンスク・バルティック歌劇場、ウォムジャ音楽祭)、ヴェルディ『リゴレット』“ジルダ”(ウォムジャ音楽祭)を演じる。
Mikula? Schneider-Trnavsky国際声楽コンクール第1位。Antonin Dvo?ak国際声楽コンクールオペラ部門第1位、歌曲部門第3位。Ada Sari国際声楽コンクール第3位、特別賞三部門受賞。Hans Gabor Belvedere国際声楽コンクールOlga Warla-Kolo賞受賞。第23回友愛ドイツ歌曲コンクール第1位ならびにR.シュトラウス賞受賞をはじめ、第18回日仏声楽コンクール第1位、第83回日本音楽コンクール第2位および岩谷賞(聴衆賞)受賞、第7回静岡国際オペラコンクール入選。
コンサートでは室内オーケストラ カペッラ・イストロポリターナ、ポーランド国立放送交響楽団、テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラなどと共演。ドイツ語、フランス語、チェコ語の歌をレパートリーとする。
これまでに桜井真知子、直野資、森晶彦、Eva Blahova、Regina Werner-Dietrich、Walter Moore、Susan Manoff、Isabel Garcisanz各氏に師事。
二期会会員。 国立音楽大学非常勤講師。


ピアノ:川村 弥 (Wataru Kawamura)


三歳から織井朝子氏にピアノと本格的な楽典を師事し、武蔵野音楽大学附属教室上級コースに学ぶ。15歳からチェロを始め、多くの弦・管楽器奏者の知己を得て、アンサンブルの機会に恵まれる。現在はエンジニアとして働く傍ら、東京ユヴェントス・フィルハーモニー等で活動中。当団には第20回の譜メクリストとして初出演。


ピアノ:矢島愛子 (Aiko Yajima)


桐朋学園大学ソリスト・ディプロマコース修了。ハノーファー音楽演劇大学首席で卒業。同大学ソロクラス(大学院)修了。国家演奏家資格取得。
1997年 若い音楽家の為のチャイコフスキー国際コンクール、ファイナリスト・ディプロマ賞(サンクト・ペテルブルク)
1999年 浜松国際ピアノアカデミーコンクール第3位。
2002年 アトランタ国際ピアノコンクール第3位。
2006年 ダルムシュタット・ヨーロッパ・ショパンコンクール第2位及び演奏会賞。
2015年 ガバラ国際ピアノコンクール優勝。
現在までに、中村紘子氏推薦による若手演奏家シリーズにて佐川文庫でソロリサイタル、10回浜松国際ピアノアカデミー、オープニング・ガラ・コンサート、日本ショパン協会例会リサイタル、ダルムシュタット・ショパン協会、オーストリア・フェルトキルヒのショパン協会の招きによりソロリサイタル、「北欧の風・府中の夏音楽祭」(東京)、ラ・フォル・ジュルネ・エリアコンサート、ドイツ、フランスの音楽祭に出演するなど、国内外で演奏活動を行っている。2015年9月にはキエフ(ウクライナ)のフィルハーモニーホールにて、キエフソロイスツと共演。
2007年から2011年までローム・ミュージック・ファンデーションより奨学金を授与される。
これまでにアサネータ・ガヴリーロワ、コンスタンティン&ジュリア・ガネフ夫妻、ミハイル・ヴォスクレセンスキー、岡本美智子、アリエ・ヴァルディ、ボリス・ペトルシャンスキー、オクサナ・ヤブロンスカヤの各氏に師事。日本ショパン協会正会員、ステーンハンマル友の会準会員。


ピアノ:北田法子 (Noriko Kitada)


桐朋学園大学卒業後、渡欧。ドイツ・ベルリン芸術大学ディプロム課程を修了後、ミュンヘン音楽演劇大学マイスタークラス課程を経て、ザルツブルク・モーツァルテウム大学大学院にてコンサートソリストを最優秀の成績で修了。また同大学院ポストグラデュエイトコースを合わせて修了する。
イタリア、ドン・ヴィンツェンツォ・ヴィッティ国際音楽コンクール第1位、同じくイタリア、ギアンルーカ・カンポチアロ国際音楽コンクール第1位など、複数の国際コンクールにて入賞を果たす。また東京文化会館小ホールにて日本演奏連盟主催のソロコンサート、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン『熱狂の日』音楽祭、またモーツァルト愛好会主催のオール・モーツァルトプログラムでのコンサートに出演、はばたき福祉事業団のメモリアルコンサートに出演するなど、精力的に音楽活動を行っている。
これまでにソロを徳丸聡子、和田記代、ジャック・ルヴィエ、ミヒャエル・シェーファー、ロルフ・プラッゲ、フェリックス・ゴットリーブ、室内楽をロルフ・プラッゲ、テュンデ・クルチュ、アロイス・ブランドホーファー各氏に師事。


ピアノ/チェンバロ:小川知子 (Tomoko Ogawa)


ドイツ国立ケルン音楽大学卒業。オランダ・スヴェーリンク音楽院修了。オランダ国家演奏家資格取得。小川尚子、野呂愛子、谷 康子、杉山哲雄、外山準、カリン・メーレ、ヴィレム・ブロンズの各氏に師事。
名古屋芸術大学、金城学院大学、静岡県立沼津西高校各講師を歴任。


ピアノ:冨田実里 (Misato Tomita)


国立音楽大学大学器楽学科ピアノ専攻卒業。第9回日本クラシック音楽コンクール全国大会審査員特別賞受賞。また大学在学中、学内での国内外研修奨学生に選ばれ渡欧し、ウィーン音楽院においてローランド・バティック氏のマスターコースを受講、ディプロマを取得。学内における第70回ソロ・室内楽定期演奏会、卒業演奏会、サントリーホール20周年記念公演デビューコンサート<レインボウ21>、第77回読売新聞社主催新人演奏会等多数の演奏会に出演。近頃では新国立劇場バレエ団や日本バレエ協会でバレエのリハーサルピアニストを務める等、様々な分野で活動している。
また、桐朋学園大学音楽学部指揮教室にて堤俊作氏の下で指揮の研鑽を積み、2007年、2008年、2010年ロームミュージックファンデーション音楽セミナー指揮者クラスでは小澤征爾、湯浅勇治、三ツ石潤司の各氏より指導を受ける。2006年より東京都内の音大生を集めた有志弦楽合奏団体「冨響」を結成し、定期的に自主公演による演奏会を開いており、独自の構成を持ったプログラムで各方面から高い評価を得ている。


ピアノ:大月礼子 (Reiko Otsuki)


幼少よりピアノの手ほどきを大月投網子氏、のちに石澤秀子氏に同時に師事。
高校2年終了後渡米、ジュリアード音楽院、ニューヨーク市立大学ハンターカレッジにてピアノをレオナード・アイスナー氏、ルイーズ・タルマ氏に師事。ニューヨーク・フィルハーモニー、メトロポリタン・オペラ・オーケストラ選抜メンバーとのアンサンブル共演を通して、室内楽・伴奏法の研鑽を積む。ジーナ・バクハウワー、シュラ・チェルカスキー、マグダ・タリアフェロ各氏の公開ピアノレッスン生に選抜される。ニューヨーク市クイーンズボロー・オーケストラ、ハンターカレッジ・オーケストラ、ジュリアード・オーケストラとの協奏曲協演。
帰国後は日英同時通訳を本業としつつピアニストとしての演奏活動を続ける。近年は東京プロムナード・フィルハーモニカーとモーツァルト協奏曲第24番、ベートーヴェン協奏曲第4番、同門フジコ・ヘミングとのピアノ連弾・2台ピアノで協演。メシドール・アンサンブルにはメンデルスゾーン、ベートーヴェンの三重奏曲、プーランクのピアノと管楽器のための六重奏などで出演。


ピアノ:手塚雪江 (Yukie Tezuka)


 武蔵野音楽大学卒。花岡千春、H.オスベルガー、土屋美寧子の各氏の師事。また、マスタークラスにて、C.イヴァルディ(京都フランスアカデミー/室内楽)、J.バー(アメリカイーストマン音楽大学夏季セミナー/伴奏)、白井光子/H.ヘル(紀尾井ホール/ドイツリート)、金木博之/上田晴子(秋吉台室内楽セミナー)、和波孝禧(八ヶ岳セミナー)各氏の指導を受ける。
 樋本英一指揮、松本室内管弦楽団とベートーヴェンの協奏曲第3番を演奏し、楽壇に本格デビュー。近年は、渡辺しおり氏(ソプラノ)、吉江忠男氏(元フランクフルト歌劇場専属バリトン歌手)のリサイタルで定期的に共演。また、声楽グループ『リーダークライス』のピアニストを務め、ドイツリートに精力的に取り組んでいる。
 地元長野県内では、幼稚園や学校にて声楽家やヴァイオリニストを交えた鑑賞教室、カフェにて定期的にサロンコンサートを開くなど、地域の音楽振興にも積極的である。また、後進の指導にも熱心であり、分かりやすく楽しい指導で好評を博している。
 メシドール・アンサンブル第4回演奏会では得意のシューベルトを好演し、内外から高い評価を得た。


ピアノ:永野博之 (Hiroyuki Nagano)


 


ピアノ:増尾知子 (Tomoko Masuo)


 原稿ください。


ヴァイオリン:石突直人 (Naoto Ishizuki)



幼少期にはピアノ・チェロ(今は全く弾けません)を、小学校入学と同時にヴァイオリンを、中学校・高校では吹奏楽部でユーフォニウムを、10年前からヴィオラを、それぞれ始める。学生時代から現在まで、複数のアマチュアオーケストラ・合奏団でコンサートマスター・首席奏者を歴任。自ら主宰するレッジェーロフィルハーモニー管弦楽団で、15年間をかけてベートーヴェンの交響曲全曲演奏を完遂。室内楽ではヴァイオリン・ヴィオラで、ソロ・デュオ・トリオ・カルテット等で活動。ヴァイオリンを結城ゆかり・故柳澤純一・松原勝也の各氏に、室内楽を田渕彰・櫻庭茂樹の各氏に師事。


ヴァイオリン:鈴木千保 (Chiho Suzuki)



桐朋女子高等学校音楽科を経て桐朋学園大学演奏学科卒業後、ベルギーのブリュッセル王立音楽院に入学。その後ナミュール音楽院IMEPに編入し、2005年にグランドディスタァンクション賞を受賞して首席で修了。ベルギーではティリオネ財団より奨学金を授与される。
日本在学中からJ.M.L.セミナー入野義郎音楽研究所主催による独日交流会のメンバーとしてドイツ各地で演奏会を行い、留学中にも室内楽団のメンバーとしてヨーロッパ各地のフェスティバルに招待されるなどして演奏活動を行う。
活動の拠点を日本に移した後はソリストとして活躍するほか、2011年4月からは弦楽四重奏団「リリウム・カルテット」でも活動している。また、指導者としては、昭和音楽大学講師を務めたほか、現在は桐朋学園大学付属子供のための音楽教室で後進の育成にもあたっている。


ヴァイオリン/ヴィオラ:河邑愛弓 (Ayumi Kawamura)


千葉出身。幼少よりバイオリン、ピアノを学ぶ。17歳で渡米。2007年日本帰国。
マンハッタン音楽院修士課程卒業。North Bay Philharmonicとコンチェルトデビュー。カリフォルニア州立大学バークレー校在学中コンチェルトコンペティションにて優勝し、大学オーケストラとソロ共演。また卒業時に最優秀弦楽器奏者として表彰される。
ソリスト、室内楽奏者、オーケストラ奏者として、北米、日本、ヨーロッパでコンサートを行う他、尺八奏者の倉橋義雄氏、琴奏者の黒澤有美氏とも共演するなど、幅広い活動を行っている。
近現代音楽も得意とし、数多くの作品の初演を果たした他、ジャズやその他のジャンルの音楽も積極的にレパートリーに入れており、Shing02(ヒップホップ)や、Mika Pohjola(ジャズピアニスト)らとのコラボレーションも話題を呼んでいる。2008年はShing02のCD「歪曲」リリースツアーとして、フジロック、ライジングサンロックフェスティバルなど、日本全国を回った。


ヴァイオリン:宇野 格 (Tadashi Uno)



 4歳よりヴァイオリンを始める。個人レッスンは社会人になったことを機に一旦休止していたが、最近はたまにレッスンに通っている模様。本業よりはるかに年季が入っており、時折会社の業務でヴァイオリンを演奏することもあるらしい。
 高校でオーケストラ部に入部して以来、大学オケ、アマチュアオケ、企業オケに参加。また時々他団体に賛助出演したり一発オケに参加したりすることもあり、そのようなところで当団主宰者に捕獲され、第11回以降メシドール・アンサンブルに参加している。
 知っている曲はジャンルを問わず即座にヴァイオリンで演奏できるという特殊能力を持ち、当団演奏旅行の朝はラジオ体操の伴奏を担当する。


ヴァイオリン:勝部弓理子 (Yumiko Katsube)


3歳よりウ゛ァイオリンをはじめる。
学習院ジュニアオーケストラ、大学オーケストラでコンサートマスターをつとめる。
大学2年の時にはファイナルジュネスでセカンドトップをつとめた。
現在東京電力管弦楽団コンサートマスター。

プライベートでは自他共に認める「お嬢」。自宅にはドーベルマンが2匹(一説には5匹)いるらしい。
自宅にオケを持っているという噂もまことしやかに語られている。


ヴァイオリン:櫃本亜希子 (Akiko Hitsumoto)


幼少時よりヴァイオリンを始める。
大学ではお茶の水管弦楽団に入団し、第2ヴァイオリン首席奏者、コンサートマスターを歴任。ブラームスの交響曲第1番のソロを好演し、絶賛された。
卒業後はお茶の水OBオーケストラ、グローバル・フィルハーモニック・オーケストラに招かれ、活躍している。

・・・というのは、あくまで表向きの話。大事なのはこの後である。

彼女はメシドール参加後1か月にして、永久就職が決まったシンデレラ・ガールなのである。確かにメシドールは人を幸せにする団体である。ここでこっそりと愛を育み、結婚したカップルもいる・・・が、そうなるまでには4年もの月日を要した。たった1か月は早い!!
ま、相手はメシドールの出演者ではないのだが、この結婚メシドール(の飲み会)抜きには語れない。何しろ、彼女のケータイをふんだくって、彼氏宛に「実家に連れてって」というメールを書いたのは、ここのメンバーなのだから。
そういう訳で、何やら幸せそうである。生温かく見守ってあげてください。


ヴァイオリン:小西達也 (Tatsuya Konishi)


幼少の頃からヴァイオリンを始める。その他にも小学生時代は鼓笛隊でトランペットを吹き、高校時代は吹奏楽でホルンを奏でるなど他の楽器を通しての音楽性も養う。

 本筋のヴァイオリンは高校時代にオーディションを経て入団した地域の交響楽団での演奏が本格的な表舞台の始まりとなり(1988年)、同団で松尾葉子氏の指揮のもと6年間程のオーケストラ研鑽を積み重ねた。また、同時期にあたる上智大学生時代は、本業のドイツ語に苦しみながらも1992年にはコンサートマスターとして上智大学管弦楽団を率い、故ユーディ・メニューイン氏による指導も受けている。圧倒的な牽引力とロマンチズムは伝説となっており、汐澤安彦氏の指揮のもと、華麗なシューマンのソロや重厚なバルトークの統率はいまだに語り継がれている。卒業演奏会(1994年)では金山隆夫氏(元ワシントン・ナショナル交響楽団副指揮者)指揮のもとでブラームスの二重協奏曲を懸田貴嗣氏(現 Ricreation d'Arcadia、チェロ奏者)と共演した。

 大学卒業後は一転、ビジネスマンとして東京を離れオーケストラ活動も休止。1997年から5年間にも及んだ英国生活ではクラシック音楽の聴衆に専念、英国にとどまらないヨーロッパ各都市のライブ演奏にどっぷりとつかることで感性を大いに磨く。ロンドンの自宅ではその湿度感覚と天井の高い空間を意識したヴァイオリン本来の響きとフレージングを独学で研鑽し、2002年初頭には某名門オーケストラのオーディションの一次予選に通過するまでに音楽的精度を高めた。

 クラシック以外のポピュラー音楽にも寛容で、学生時代にはX-Japanのライブに、今世紀に入ってからは斉藤ネコ氏の監修のもと、椎名林檎のライブ(2003年)や、松本修氏によるカフカの「城」と「審判」の劇作のレコーディングに参加(2004年、2007年)。また、最近はボサノヴァやジャズなどにも開眼するなど自らの音楽ジャンルを常に拡げており、その多彩な芸風を活かしてボランティアやレストランでの室内楽演奏を数多くこなしている。現在はペンギンカルテット(ポップス系弦楽四重奏)、並びにWings(ボランティア専門:歌/フルート/ピアノ/ヴァイオリン)のメンバーであると同時に、各種ステージの総合プロデュースも手がける。

 また、2005年以降は楽器を銘器に持ちかえることで更にクラシック分野の解釈を深め、特にメシドールアンサンブルへの参加(2006-2008年)を通してベートーベン/モーツァルト/シューベルト/バッハなどの本格派室内楽に取り組むことで演奏能力を大幅に強化、同時にソロの分野でもパイプオルガンやピアノとのデュオによる王道的な曲をレパートリーとして確立している。一方、管弦楽の分野では静かではあるが最先端の理論を掲げて2007年から正式にルートヴィヒ室内管弦楽団の第一コンサートマスターに就任、2008年以降は巨匠Jデームス氏との共演なども控えている・・・と思っていたら、ニューヨーク転勤が決まり、当団第8回演奏会が日本での最後の公演となった。

 第6回(ベートーヴェン:七重奏曲)、第7回(モーツァルト:ディヴェルティメント第17番)、第8回(シューベルト:八重奏曲)で、「まるでヴァイオリン協奏曲のような室内楽シリーズ」に取り組んだ。


ヴァイオリン:藤平真理子 (Mariko Touhei)


幼稚園にヴァイオリンクラスがあり、クラス全員が楽器を持って通園する環境で、気がついたら楽器を弾いていたため、最初楽器を持った時のことは覚えていないらしい。
6歳で大岩紀栄氏に師事し、9歳で氏の教え子を中心としたフェスティナレンテ合奏団に参加し、オーケストラの楽しさを知る。以来、大学でオーケストラに入ることが夢となる。
上智大学入学と同時に同大管弦楽団に入部。オーケストラでの演奏の傍ら、管弦楽団の他のメンバーとのカルテットなどを通じて、少人数のアンサンブルに接する。この頃から、合宿等でハードな練習が続くと、壁の模様や水しぶきまで音符♪に見えるという体質になる。
音や音階の作り方への興味から、卒業後はピアノの調律法を学び、調律師となる。現在は、フェスティナレンテ合奏団の他、古楽アンサンブルや、親戚とのボサノババンドなどで演奏を続けている。最近は植物への関心が高まり、大学で聴講生として学んだり、植物画を習ったり、ガーデニング、山菜摘み、木工など、草木の香りに満ちた生活をしている。(いいなぁ・・・)。


ヴァイオリン:孫 尚卿 (Sang-Kyeong Sohn)


岡山県出身。ピアノを柳桂子氏、ヴァイオリンを上月恵氏・金田幸男氏に師事し、幼少より様々な音楽に親しむ。
早稲田大学在学中は、同大交響楽団で第二ヴァイオリン首席奏者を務め、ヨーロッパ主要十都市における公演の成功に貢献。メロディにヴァイオリンの重音奏法を駆使して伴奏を付けたり、クラシックをピアノでジャズ(?)っぽく弾いたり、と即興演奏を器用にこなす。
我が国の最高学府の大学院にて、機械工学ならびに原子力工学を学び、世界人類のエネルギー・環境問題の解決を志す原子力エンジニアの卵であった当時、当団主宰者の職場でアルバイト勤務。その働きぶりを踏まえた「君は研究者よりも営業向き」といういい加減な助言を真に受けて、セールスエンジニアとして計測器メーカーに就職。今のところ生き生きと働いているようなので、主宰者も一安心である。


ヴァイオリン:石川統之 (Muneyuki Ishikawa)


 3歳からヴァイオリン、6歳からピアノを始める。ヴァイオリンを原まり子、小川智子、ピアノを塚尾由美、芝本恵美の各氏に師事。
 上智大学ロシア語学科に入学と同時に同管弦楽団に入部。同団の顧問にして、我が国における死生学の祖であるアルフォンス・デーケン教授の薦めにより、ホスピスでの演奏を経験し、音楽観に大きな影響を受けた。
 3年次にコンサートマスターを務めたほか、『アンサンブル・ペレストロイカ』における室内楽活動にも注力。また、箏との共演により現代邦楽作品を演奏するなど、先進的な試みを積極的に展開した。卒業演奏会では、上野秀憲氏の指揮でグラズノフのヴァイオリン協奏曲を演奏。大学卒業後、オーケストラ『アンサンブル・ムジカ』に所属し、1997年から2002年までコンサートマスターを務める。
 演奏の確実さには特に定評があり、コンサートマスターの席にあっては、オーケストラの個々のプレーヤーの音を聞き分け、睨みを効かす。特に左側に発する眼光は鋭く、彼の隣席で「ビクッ」と動くプレーヤーは数多く目撃されている(彼と多数の共演経験を持つチェロ奏者談)。また、木管セクションからも「あの横睨みが恐い」という声は多数聞かれる。その割に正面方向の威力は弱く、チェロセクションは安全圏である(前出のチェロ奏者談)。
 在京オーケストラの事務局に勤務し、小中学生のための音楽鑑賞教室の企画調整、演奏会プログラムの編集などに携わった後、現在はモスクワに遊学中。ロシアのイズヴェスチヤ紙によると、04年5月、赤の広場で開催された『万国お茶祭り』において、モスクワ音楽院で結成されたロシアで唯一のプロ邦楽アンサンブル『和音』と宮城道雄の「春の海」を共演し、万国の茶飲み友達から喝采を浴びた模様である。
 第1、2、4、5回演奏会、房音くらぶ演奏会、クリスマスコンサート2006に出演。音楽に打ち込んでいるのかと思いきや、団内で嫁探しをしていたことが発覚し、現在は岡山県のくらしき作陽大学に勤務。


ヴァイオリン:尾作典子 (Noriko Ozaku)

 ヤマハ音楽教室で音楽に接し、6歳からピアノ、13歳からヴァイオリンを始める。明治学院大学文学部芸術学科に進学すると同時に、 同大管弦楽団に所属し、岩熊睦美氏に師事。学芸員資格の取得、「装飾古墳における渦巻文様」の研究と並行して、同団の第二ヴァイオリン首席奏者を務める。
 芳仲聰氏の結婚式の際、同氏が主宰するアンサンブル・ペレストロイカ(メシドール・アンサンブルの前身)に、新婦友人としてゲスト出演。この縁で、メシドール・アンサンブルの結成に参加。第1-5回演奏会、房音くらぶ演奏会、クリスマスコンサート2006に出演。
 音楽以外の活動も活発であり、学芸員として某美術館で歌川広重の研究に従事した後、自らヴィジュアル・アートの制作を開始。広告代理店勤務を経て、現在はフリーカメラウーマンとして活躍。作品制作には、かつての渦巻文様の研究が強い影響を与えており、弦楽器の渦巻は、彼女にとって重要な被写体である。
 団内で配偶者を得て、現在は岡山県倉敷市在住。なんとオメデタだそうで・・・。展開早いなぁ。


ヴァイオリン/ヴィオラ:真鍋 徹 (Tetsu Manabe)


 ヴァイオリンをはじめて早37年。14歳のときアイザック・スターンの薫陶を受け、人生が変わったらしい。過去20年の間に、上智大学管弦楽団・かもめ管弦楽団をはじめ、全国各地のオーケストラでコンサートマスターを務めている。
 ヴィオラ歴も既に20年以上と長い。‘ついで’のようにヴィオラを弾くヴァイオリニストが多い中、「ヴァイオリンとヴィオラは似ているようで全く別の楽器」「技術的にも全然違う」が持論。確かに彼の音色を聴くと「なるほど、その通り」と思わずにはいられない。
 この1年はチェロにも手を拡げている(一人カルテット状態?)。本人は「チェロとピアノが弾けたらなあ」と言っている。(ええい、欲張り!!)
 第6-7回演奏会に出演。


ヴァイオリン/ヴィオラ:林 俊夫 (Toshio Hayashi)


5才よりヴァイオリンを始め、西崎信二氏、松本貞雄氏、伊予田弘子氏に師事。小学生時代に小学校の器楽クラブでNHK全国学校音楽コンクール全国大会出場。NHK名古屋青少年交響楽団にも所属し、アンサンブルの楽しさを知る。大阪大学交響楽団では3回生から、社会人となってからは大阪モーツァルトアンサンブル、東京ムジークフローなどでコンサートマスターを歴任。
心を慰める音色に惹かれて30代半ばよりヴィオラに取り組み、2008年に結成したカルテット(東京ヴェガSQ)でもヴィオラを担当している。
大学時代の仲間とは現在でも弦楽による「アンサンブル70s」でコンサートマスターを担当。全国各地に分散するメンバーが3か月毎に大阪に集合し、2年に1回の演奏会をこなしている。アンサンブル70sでカザルスホールアマチュア室内楽フェスティバルに2回出場。


ヴィオラ:大越夏子 (Natsuko Ohkoshi)



音楽活動の誘いは絶対に断らないため、毎週土日は朝昼晩6コマの練習をこなすことも珍しくない。練習後の酒の誘いも絶対に断らないが、酔っても自分について多くを語らないため(いや、それ以前にちょっとやそっとでは酔いやしないため)、人物像は謎に包まれている。「メシドールの延べ40人の出演者の中で住所も職業も知らないのって彼女だけなんだよな。今時携帯電話も持ってないし…」(当団主宰者談)。


ヴィオラ:大場清文 (Kiyofumi Ohba)



原稿ください。


ヴィオラ:志村和紀 (Kazunori Shimura)


ヴィオラを臼木麻弥氏に師事。室内楽を七沢清貴氏・木野雅之氏に師事。国際芸術連盟主催第1回ジラの門コンクール三位。
大学卒業後フリーで活動。フリーメイソン・シニムロッジ100周年記念「魔笛」公演にて首席ヴィオラ奏者として演奏。東京国際芸術協会管弦楽団ヴィオラ首席。ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンにおいてベートーヴェンティアーデ室内管弦楽団ヴィオラ首席として出演。多くの新聞や雑誌に演奏中の写真が掲載される。
2008年3月には「杉ちゃん&哲平」の全国ツアー東京公演を弦楽四重奏の伴奏にて支え、好評を博す。その他、室内楽の企画演奏、TV番組内での演奏、CM出演、ゲーム音楽やインディーズバンドとの録音に参加。
また、ヴィオラ奏者としてだけではなく、インスペクターとしても活動しており、指揮者や演出家からの信頼も厚く、担当したオペラ公演にて、某アメリカ人指揮者から以下の賛辞を受けている。"You have been the finest and most helpful inspector it has been my pleasure to work with, with any orchestra on any level. Your splendid organisational sense and human strengths helped the orchestra greatly to realise its musical potential and support the opera. I appreciate that deeply, and thank you from the bottom of my heart." (抜粋)


ヴィオラ:芳仲 聰 (Satoshi Yoshinaka)


 4歳よりヴァイオリンをはじめる。上智大学理工学部化学科入学と同時に同大管弦楽団に参加し、3年次には部長の要職を勤める。また、メシドール・アンサンブルの前身であるアンサンブル・ペレストロイカを創設。同時期に、ヴァイオリンのみならず、ヴィオラにも守備範囲を拡げ、内声のスペシャリストとしての地位を確固たる物とする。
 その一方、旋律の表現力にも定評があり、その情熱的な「歌」は後に愛妻となる女性を一目惚れせしめた程である。その実力はメシドール・アンサンブルにおいても遺憾無く発揮されており、第2回演奏会のドヴォルジャーク:弦楽四重奏曲「アメリカ」の冒頭のソロは、観客を唸らせた。
 平日は某化学メーカーの研究者の顔を持ち、特許も保有。また、労働組合の支部長として、職場環境・待遇の改善にも奔走、闘う(誰と?)サラリーマンである。音楽によって射止めた妻と娘を愛する良き(?)家庭人でもある。


ヴィオラ:林めぐみ (Megumi Hayashi)


 福島県会津若松市に生まれる。音楽が盛んな土地柄を反映し、兄の影響で小学校の合奏部に入部し、ヴァイオリンを嗜む。一旦はコンサートミストレスを務めるまでに成長したものの、中高はテニスに没頭し、楽器も手放してしまう。
 「やっぱりバイオリンをもう一度!」という思いが募り、日本大学入学と共に同大管弦楽団に入団。ところが、楽器を所持していなかった為、小さな身体に似合わずヴィオラを始めることに。「ヴィオラって何?」と思っていたのも束の間で、次第にビオラの魅力にはまり込む。以後はヴィオラ一筋に歩んでおり、日本大学管弦楽団、JMJオーケストラ、アンサンブル・ムジカで首席奏者を歴任。
 井手修三氏の下でヴィオラを基礎からきっちり学んでいるためか、ヴァイオリン 奏者が「ついで」のようにヴィオラを弾くのは許せないらしい。知名度も低く、地味だが、ヴィオラは大きなヴァイオリンなどではなく(言葉の上ではヴァイオリンが「小さなヴィオラ」なのだ!!)、実は独特の魅力があることを啓蒙すべく、活動を続けている。
 彼女の小学校時代を知る人は「練習には厳し〜いコンサートミストレスだった」と語るが、それは今でも全く変っていない。彼女と共演したことのある奏者の中には、彼女の精緻な音に乗って、「おいっ」というオーラが漂って来るのを感じた者も少なくないと思われる。
 第3-5回演奏会に出演。


ヴィオラ:大矢克宜 (Katsunori Ohya)


栃木県宇都宮市に生まれる。中学3年生の秋に偶然連れていかれたイムジチの公演でクラシック音楽に開眼。柔道からの転向を決意する。
高校進学と同時に宇都宮高校音楽部管弦楽団でヴァイオリンを手にし、星野和夫氏に師事。第2ヴァイオリン首席を務める。
千葉大学に進学し、管弦楽団の勧誘を退けて室内楽サークル「コンフローレ室内合奏団」に即日入団。見学に来た同級生に「団長さんですか?」と声をかけられる程に入団初期から活躍。
室内楽を演奏する傍ら 近隣のオケのお手伝いもし、東京歯科大学管弦楽団では第2ヴァイオリン首席を務めたが、在学中にヴィオラへ転向。「室内楽のヴィオラ」の楽しさ・奥深さに魅せられての転向で、周囲を驚かせた。
卒業後は、大学時代の仲間と「Ensemble MIYU」を結成し、演奏活動を続けている。
房音くらぶ演奏会に出演。


ヴィオラ:浅井直樹 (Naoki Asai)


 4才よりバイオリンを、27才よりビオラを、40才よりチェロを始め今日に至る。弦のマルチプレーヤーを目指すことが一つのライフワークになっている。
 慶応義塾大学ワグネル・ソサイエティ・オーケストラにてオーケストラ活動を開始し、以来30年に渡って国内各地のアマチュアオケで演奏活動を続けてきた。
 最近は、APA(エイパ・日本アマチュア演奏家協会)を中心に、室内楽に演奏活動のウェイトを移している。
 第7回演奏会に出演。


チェロ:坂本謙太郎 (Kentaro Sakamoto)


 13歳からコントラバスをはじめるも楽器の重さに耐えかねて15歳からチェロに転向。これまで庭野隆之、畑野誠司、菅野博文、飛山宣雄、Franz Bartolomeyの各氏に師事。また、齋藤純一郎氏より表現法・解釈について薫陶を受けた。
 これまでに都立国立高校弦楽合奏団、上智大学管弦楽団、アンサンブル・ムジカ、幕張ベイタウン・オーケストラかもめ管弦楽団、幕張美浜音楽祭祝祭管弦楽団、コンセール・イン・テラ・パクス、江東オペラ管弦楽団で首席奏者を、小川晶久氏指揮BBH管弦楽団でハイドンの協奏曲のソリストを務めた。その他にも、英国パンプシャーのHavant Symphony Orchestra、ベートーヴェンティアーデ室内管弦楽団、オーケストラ・ディマンシュ、東京ライン管弦楽団、新日本交響楽団など多数のオーケストラに出演。当団主宰者。


チェロ:横沢康 (Koh Yokozawa)



母親が家でピアノ教室を開いている環境に育つも、幼少期はクラシック音楽にまったく興味を持たない日々を過ごす。 10歳の時、聖飢魔Uでロックに目覚め、中学高校時代はヘヴィメタルバンドでギターを弾く日々を過ごす。
大学入学時、兄の勧めで北海道大学交響楽団に入団しコントラバスを始め、クラシック音楽の素晴らしさに開眼。 大学時代はもっぱら楽器の練習に力を注ぎ、北海道大学水産学部交響楽団、北海道交響楽団、札幌市民オーケストラ、 ウィンドシンフォニカof札幌、函館市民オーケストラ、函館市民オペラ等多く団体で活躍。 その甲斐あって(?)大学は5年かけてなんとか卒業。
全国転勤を繰り返す金融機関への就職を機に、持ち運びもしやすいチェロに転向。 長崎交響楽団、諫早交響楽団、佐世保市民管弦楽団を皮切りに各地のオーケストラに出演。 そんな中オーケストラ・ディマンシュで当団主宰者と知り合い、かもめ管弦楽団、江東オペラ等主宰者の関わる先に引っ張り回されるようになる。
音楽への愛情はジャンルを問わないが、クラシックと同じ位、実は1970年代を中心としたプログレッシブロック をこよなく愛する。


チェロ:室 裕文 (Hirofumi Muro)


4歳よりピアノを渡辺まどか氏に師事し、調音・ソルフェージュを含め音楽の基礎を学ぶ。
都立新宿高校にて管弦楽部に入団しチェロを始める。高校ではチェロの傍ら、学生指揮者を務め、指揮法の基礎について小倉啓介よりレッスンを受ける。また、高校1年より2年間チェロを藤本英雄氏に師事。
東京都立大学(現首都大学東京)経済学部に入学し、同大学の管弦楽団に入団する。大学1年・2年のときのJMJ青少年音楽祭(ジュネス)に4度出演し、ヴェルディの「レクイエム」及びストラヴィンスキーの「春の祭典」では首席奏者を務める。また、大学3年次には同大学の管弦楽団の首席チェロ奏者、学生指揮者を務めた。大学4年間、千本博愛氏にチェロを師事し、北本秀樹氏にパートレッスンを受ける。
卒業後、数年間商社に勤務するも、一念発起し、公認会計士試験にチャレンジし、無事合格。現在は大手監査法人に勤務する傍ら、チェロを大友肇氏に師事している。
これまでN響コンサートマスター山口裕之氏率いるカルテット・クレマティスに2度客演チェロ奏者として参加した。現在は、新日本交響楽団のチェロ首席奏者を務めるとともに、チェロアンサンブルのエル・シエロのメンバー、その他オーケストラ、室内楽、カルテット活動にも積極的に参加している。


コントラバス:萩原大樹 (Daijyu Hagiwara)


皆が楽器を嗜む家に生まれ、3歳からピアノを学ぶ。親族が集まるとルネサンスやバロックを演奏するという一族だったが、 マショーとかオッケゲムとかデュファイとか、子供にはつらい環境だった。厳しいピアノのレッスンとも相俟ってクラシックが大嫌いに。 その結果、高校まではロック、ブルース、フュージョンに傾倒し、ジャコパスやクラプトン、ヴァンヘイレンがアイドルだった。
大学入学と同時にプロのジャズ・ミュージシャンとして米国に渡るべく、コントラバス(というか、この場合はダブルベース)を学び始める。 ジャズ演奏でアドリブやコードを踏まえてベースラインを組み立てるため、音楽理論や作曲を本格的に学び、改めてクラシックに触れる。 そんな折、氏の奨めでバルトークの弦楽四重奏曲を聴きクラシックに開眼。
今では新日本交響楽団首席奏者としてクラシックにどっぷり浸かっている。故都筑道子氏、藤原清登氏、山健児氏に師事。


コントラバス:島田奈央 (Nao Shimada)


 14歳より吹奏楽部でコントラバスを始める。当初、部員不足のための電子オルガン人員として演奏会を手伝うだけの予定だったが、厳しい先輩を前に辞めると言い出せず、入部することになる。入部したのだから、何かちゃんとした(?)楽器をやってみたら、ということになり、エレキベースと倉庫に保管してあった弦バス(コントラバス)担当になる。先生、弓をポケットマネーで買ってくれてありがとう。ちなみに、エレキベースは中学生以来触っていない。
 高校に入り、軽音サークルと管弦楽部に入るか迷ったが、楽器を貸出してくれることと、弦楽器をちゃんと習いたかった理由により、管弦学部に入部する。楽しい仲間に囲まれ3年間楽器を引きたおす。部長も経験し天下をとる。その間「第12回国民文化祭香川」「第22回全国高等学校総合文化祭」等に参加、OBオケと合同でドイツへ演奏旅行に行く。
 高校卒業後、大学オケに入団するも、1年で退部。お世話になりました。このころに現在の楽器を買う。楽器の名前は「コニー」という。その後「フライハイト交響楽団」にきちんと所属しアマオケライフを全う。大学卒業くらいに諸理由により約2年楽器から離れる。復帰後、音楽ボランティア活動から開始し、小学校、病院、教会等での演奏なども経験。室内楽からフルオケまで、ジプシーのようにさまざまな音楽団体を旅している。


コントラバス:奥 俊晴 (Toshiharu Oku)


 高校時代にハンドボールでインターハイを目指す傍ら、友人がブラスバンドで弾いていたコントラバスに興味を持ち、初めて弦楽器なるものに触れる。上智大学入学後、きれいなお姉さんに「オーケストラいかがですか?」と入部説明会に誘われたのがきっかけで、管弦学部に入団。東京都交響楽団/中西利通氏に師事して、めきめき腕を上げ、卒業演奏会ではドラゴネッティのコントラバス協奏曲を弾き好評を博す。
 卒業後は某運輸会社に入社し、国際業務に従事する一方で、オーケストラディマンシュ、アンサンブルムジカで首席奏者を務める。また、数々のオペラ、オーケストラ団体にエキストラとして参加し、本業より多忙な生活を送った。1999年、メキシコへの転勤を命じられるが、早速、現地で楽器を購入し、音楽活動を継続。メキシカンポップスにも多大な影響を受ける。帰国後、ザ・シンフォニカに在籍し、著名な指揮者のもとで数々の演奏会に参加。現在はフリーとして活動中。(オケも良いけど、やっぱり室内楽が好き。ドボルザークの弦楽五重奏とか管セレもやってみたいです、主宰者さん。)川崎市麻生区在住、2児の父。

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