メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲 第一番 ニ短調 Op.49
ブラームス:クラリネット五重奏曲 ロ短調 Op.115

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「歳を取るごとに、私の天空にはモーツァルトと
メンデルスゾーンという二つの星が、高々と昇ってくる」
(ブラームス晩年の言葉)



 夏至を過ぎる頃から浮き足立って、ヴァカンスのことで頭が一杯になるというのは、どうやらアルプス以北のヨーロッパ人に共通した性質であるように思われる。高緯度に位置し、始終偏西風にさらされる彼の地の冬は暗く、冷たく、湿っている。だから、メシドール(Messidor:フランス革命暦10月、現在の6月19日から7月18日に相当する)の爽風と明るい日差し、そして何より遅い夕暮れは、人々の心を浮き立たせずにはおかないのであろう。この点では作曲家も例外ではないようで、数々の名曲がこの季節に生まれている。


 メンデルスゾーン(1809-1847)のピアノ三重奏曲第一番もその一例であり、1839年の6月から7月にかけて、旅の途中で作曲されている。「ベートーヴェン以来の最も偉大なるピアノ三重奏曲」というシューマン(1810-1856)の評にも顕れている通り、初演当初から高く評価された。

 通常のピアノ三重奏曲と同じように、元来これはヴァイオリン、チェロ、ピアノのために書かれている。フルート・ヴァージョンは、後年出版社の求めに応じて、メンデルスゾーン自身が編曲したものとされているが、その成立の背景にも、この曲に対する当時の高い評価があると考えられる。

 ところで、この曲が作曲されたのはメンデルスゾーンの生涯で最も幸福な時期とされる。高名な哲学者モーゼス・メンデルスゾーン(1729-1786)を祖父に持ち、裕福な家庭に育った(一説に拠れば、彼の少年時代、屋敷内には作曲上の試みを直ちに「実験」できるようにという父親の配慮で、オーケストラが常駐していたという)彼の生涯は、その全てが幸福な時期であったとする向きもあるが、これはあまりに皮相的な見方である。ユダヤ人の家系に生まれたメンデルスゾーンは、民族性とプロテスタントとしての宗教性の狭間で、自らのアイデンティティに常に苦しみ続けたし、故郷ベルリンでは、その血筋と父の財産故に謂われない偏見や敵意とも無縁ではなかった。

 このピアノ三重奏曲が作曲された頃のメンデルスゾーンは、悪意に満ちたベルリンを捨ててライプツィヒに移り住み、ゲヴァントハウス管弦楽団の音楽監督・作曲家として、この文化都市の人々に温かく受け入れられつつあった。また、結婚し、二人の子供を得て、まさに公私共に幸福な生活を築いている。そういった意味で、この曲は7月の陽光の結晶であると同時に、彼の人生のメシドールへの讃歌と言うこともできるかもしれない。


 メシドールの風に創作の霊感を求めた作曲家としてブラームス(1833-1897)ほどの好例はなかろう。夏になると保養地に赴き、その豊かな自然の中で創作に勤しむというのが、40歳を過ぎた頃から、彼の習慣となっていた。事実、交響曲第二番以降、多くの作品が夏の保養地で作曲されている。クラリネット五重奏曲もまた例外ではなく、1891年の7月にオーストリア西部の風光明媚の地バート・イシュルで生まれた。これはブラームス老年の創作の頂点を成しており、彼の音楽表現の集大成であると言って良い。

 19世紀は全く新しい音楽表現が登場した世紀であった。その急先鋒であるリスト(1811-1886)やヴァーグナー(1813-1883)、ベルリオーズ(1803-1869)は、絵画や文学など音楽外の観念を音楽によって表現しようとし、交響詩や楽劇などの新しい音楽の有り様を世に問うた。彼らの思想は当時非常に進歩的であったが、同時にバッハ(1685-1750).ベートーヴェン(1770-1827)などの古典を否定するという一面も持ち合わせていた。この考え方に異を唱え、先人に敬意を払い、純粋な音による表現を追求し続けたのがメンデルスゾーンでありブラームスであった。この点で、ブラームスは明らかにメンデルスゾーンの系譜に連なっている。

 一方、表現手法の面では、ブラームスが伝統に安住することはなかった。彼は、音楽を一旦細かい単位要素まで分解し、再び複雑に組み合わせて壮大な構築物を作り上げるという〜あたかも煉瓦を一つずつ積み上げて華麗な建築物を形作るような〜分析的・構築的な手法を編み出した。この手法は当時の最先端を行くものであり、後にシェーンベルク(1874-1951)やウェーベルン(1883-1945)ら20世紀の作曲家に多大な影響を与えることになる。

 さて、自らの表現手法を確立した老ブラームスであるが、一方で先人達への尊敬の念は益々強くなっていった。わけてもモーツァルト(1756-1791)やメンデルスゾーンに強く惹かれていたことが、冒頭の言葉からも読み取れる。

 しばしば並び称されるモーツァルトとメンデルスゾーンは、共に神童として登場し、自然で明るい作風を特徴としている。その音楽はまさしく天衣無縫と表現するに相応しく、分析的・構築的なブラームスの音楽とは際立った対照を成している。それを例えるならば、モーツァルト、メンデルスゾーンは神の英知が作り出した人類への使いであり、ブラームスは人類の理性が生み出した神への使いであると言うことができよう。

 晩年のブラームスがこれほどまでに対照的な作曲家に対して強く尊敬の念を抱いていたというのは、大変興味深い事実である。ブラームスにとってモーツァルトやメンデルスゾーンの音楽はもはや憧憬や羨望の対象ではなく、メシドールの薫風や保養地の自然と同様に神の創造物、そして創作意欲の源泉であった…そう解釈するのは穿った見方に過ぎるだろうか。
                                      (by 坂本謙太郎


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